騎手クローズアップ

磨いた翼を拡げて

~長尾翼玖騎手~

今年で7年目を迎えたヤングジョッキーズシリーズ(以下YJS)は若き騎手にとっての登竜門であり、JRAの競馬場で騎乗できるファイナルラウンド進出は一つの大きな目標となっている。今年は、デビュー3年目の長尾翼玖(ながおたすく)騎手がトライアルラウンドを勝ち抜き、見事ファイナルラウンド初進出を決めた。

現在高知競馬場で3ヶ月間(9/9~12/9)の期間限定騎乗中で、日々技術の研鑽に励む長尾騎手のインタビューをお届けする。

YJSファイナル進出

今年のYJSファイナルラウンドは、12/14(木)に川崎競馬場、16(土)に中山競馬場での2日間、騎乗する4レースの合計ポイントで争われる。

ここに向けてのトライアルラウンドが7~10月に全国各地で行われ、地方競馬所属騎手8名、JRA所属騎手8名の計16名のファイナリストが決定した。

兵庫の3年目、長尾翼玖がそのうちの一人だ。

「良かったです!去年は龍太郎が行ってるんでね。同期の中でまだ僕だけがチャンスあったし、一回は行っておきたかったので。同期の高知の岡(遼太郎騎手)も行けましたし」

去年は同期の大山龍太郎騎手がファイナルに進出し、見事に準優勝を果たした。年齢では2歳年下の同期が檜舞台で活躍する姿を見て、「来年こそは自分が」という思いを強くしていた。

最終戦のトライアルラウンド笠松を迎える前は、地方競馬・西日本の5位につけていた。「下は離れていたので、あとは(4位)の岡を抜けるかどうか。チャンスやとは思っていました。」

そして、笠松の第1戦で2着に入り、ファイナル進出を一気に手繰り寄せた。

「これまでは仕掛けが早いところがあったけど、高知に行って乗り方の幅が広がり、それが笠松での結果に繋った」と振り返る。「しまいは絶対に伸びる馬だったので、じっくり構えて早仕掛けにならないように」と事前に思い描いた通りに乗れての2着。9頭立ての9番人気の馬を好走に導けたことに胸を張る。

9月から高知競馬場に武者修行に赴き、そこでの学びを活かした騎乗で結果が出たことは自信にもなった。

トライアルラウンドは計5戦に騎乗。高知で3着、園田で8着と2着、笠松で2着と8着という成績を残し、計59ポイントを獲得。地方競馬・西日本地区2位で堂々のファイナル進出となった。

「勝って行きたかったですけどね」と悔しさを滲ませたが、去年は初戦勝利もその後奮わずにトライアル敗退となっただけに、その無念を今年晴らした形だ。

「JRAの競馬場で乗れるのは大きいですし、南関東で乗れるのもすごく良いです。YJSは注目してもらえるレースの一つなので、チャンスある時に一度でも行きたかった」という願いを叶えた。

「川崎競馬場については、吉原さん(金沢・吉原寛人騎手)に教えてもらいました。中山は未知なので想像がつかないですが、いかに(追い出しを)待てるかですかね」

高知競馬場に度々遠征に来る名手にも教えを請い、早くも本番へのイメージを膨らませて準備をしている。

実は、ファイナル進出が決定する2週前の9/24(日)、中山競馬場に長尾騎手の姿があった。兵庫所属のチェスナットコートが中山競馬場へ遠征し、田中学騎手でオールカマー(G2)に出走した日だ。

通常は土日に高知競馬の開催があるが、たまたまその週は開催がなかった。

「学さんがJRAで乗っているところを見たいと思って」高知から完全プライベートで遠征した。もちろんファイナル進出が決まった時をイメージでして、「年末に中山で乗りたい、じゃあ今からその下見をしておこう」という思惑もあったという。

大阪出身の長尾騎手にとっては人生初の中山競馬場だったというが、一ファンの立場でレースを楽しむ一方、「ここで乗れたらカッコいいなぁ!」と騎手としての思いも強くした。

中山競馬場は、パドックから本馬場へ向かう馬道や検量所がファンエリアからも見られるつくりとなっている。

「隣の人が学さん『サインくださーい!』と呼び掛けたら、学さんが来たんですよ。で、僕もサイン貰いました(笑)」

さすがに田中騎手は「なんでタスクがおんねん!?」という驚きのリアクションだったそうでサインも一回断られたそうだが、きっちりスマホカバーにサイン貰ったそうだ。中山競馬場で先に初騎乗を終えた大先輩のサイン、字が消えないように今はそのスマホカバーは外して大事にとってある。

そんな中山競馬場での騎乗も叶うYJSファイナルラウンドが迫ってきた。

「地方所属でJRAで乗れるチャンスはなかなかないのでありがたいですね。表彰台に立ちたいですね。勝ちたいけど、しっかり景色見てとにかく楽しみたいですね!」

騎手への道

長尾翼玖騎手は、三人きょうだいの長男。双子の弟がいて、妹がいる。

小学3年生になる前、双子の弟が野球をやりたいと言い出した。兄は野球には興味なくむしろサッカーをやりたかったそうだが、弟に付き合う形で軟式野球を始めることとなる。ポジションはセカンド。
途中から野球選手になりたいという憧れを持ったが、中学進学時に硬式野球チームの体験に行くと同級生との体格差に驚き、野球でレギュラーを張るのは難しいと感じた。

軟式野球は中学校の部活動で続ける傍ら、将来に向けて別の道を模索していた。

ある日、体を動かすことが好きだった長尾少年は父から「ボートか馬かどっち乗りたい?」と訊かれ、干支がウマ年ということもあり「馬」と答えた。それがきっかけで、初めて京都競馬場に連れて行ったもらったという。当時中学1年生、京都金杯の日ということもあり、多くのファンで賑わう競馬場、疾走するサラブレッドに感銘を受けた。

すぐに騎手になりたいという思いに至ったわけではなかったが、親に勧められて中学2年生から京都競馬場の乗馬センターで馬に乗り始めた。平日は部活動の軟式野球、土日は乗馬というスポーツ三昧の日々を送った。

中学3年生になると騎手という仕事を意識し始め、野球はやめて平日の放課後も乗馬に通うように。その後、JRA騎手学校の入学試験を受けたが思いは届かず、高校へ進学することになった。

高校の通学途中に園田競馬場があったこともあり、その金ナイターをよく見に訪れたという。

「園田に初めて来た時にレースの迫力がすごかったのを覚えています。距離が近くて」

乗馬を続けながら、JRAの試験に何度もチャレンジしたがダメだった。乗馬センターで一緒に馬に乗っている仲間の存在が励みにもなった。

「高校生なのでやっぱり土日は遊びたい気持ちもありましたし、上手く乗れなくなって『もうやめようかな』という時期もありました。でも、野球の時にもやめたい時があったけど続けていたらレギュラーを取れたので。やり続けていればいいことあるよ」と己を奮い立たせてやり続け、乗馬がまた楽しくなった。

「高校生活の後半は遊ぶより乗馬になりました」

気持ちにも変化が現れた高校2年生の時、地方競馬の騎手学校試験に晴れて合格した。

「今が楽しかったら良いという能天気な性格だったので、騎手という道があるのを教えてくれたのはありがたかったですね」と父に感謝している。

騎手デビュー その後

学校の2年間は「楽しかった」と振り返る。中卒で入学する候補生も多いため、周りよりも年齢が少し上ではあったが、そこも全く気にならなかったという。

「競馬学校は厳しいと聞いていたけど、先生も結構優しくて、恵まれていました」

出身は大阪。高校時代によく通い、その迫力に感動した園田競馬場。自然と兵庫県競馬の騎手になる道を選んだ。

同期には1歳年下の佐々木世麗騎手と2歳年下の大山龍太郎騎手がいて、3人揃ってのデビューだった。高知に期間限定騎乗で行く直前に同期3人で旅行に行ったほど仲が良い。

「学校時代は世麗とは仲悪かったんですけどね・・・デビューしてからは仲良いです(笑) 龍太郎には自分の悩みとかも喋りますね。龍太郎やからこそ喋れるところはあります。同期の存在は大きいですね」

ルーキーイヤーは佐々木騎手が87勝で兵庫県競馬の新人記録を塗り替え、大山騎手も51勝を挙げた。長尾騎手の27勝も新人としては決して悪い数字ではなかったが、 「2人は飛び抜けていっているからしがみつくのに必死でした」と振り返る。

「デビュー直後は正直怖かったです。周りにケガさせてはいけないと気を使う部分がありました。田中騎手とか鴨宮騎手とかメッチャ見ていたので、ついに一緒に乗れる。あの人らと一緒に乗っているんだという嬉しい気持ちもありました。皆優しいし、騎手皆が仲良くてびっくりしました」

2年目は36勝と勝ち鞍を上積みしたが、3年目の今年は9月まででわずか9勝と苦しんだ。

「結果出してなんぼの世界なので結果出せないのはしんどいです。今年は競馬もあまり乗れなくなって、モチベーションも下がりかけていて・・・『このまま兵庫にいても何も変わらない』と思いました。だから高知に行ったんです。短期で3ヶ月集中して頑張ろうと。やっぱりレースに乗らないと分からないところも多いので」

9月上旬、必ず再起を図るという強い想いを胸に秘めながら高知へと旅立った。

高知で勉強の日々

自分を奮い立たせ、「もう一度勉強をしなおそう」という思いで向かった高知競馬場。所属したのは11月末時点で地方競馬通算2834勝を挙げている名門・田中守厩舎。今年も192勝を挙げて13年ぶりの全国リーディングに向けて邁進するチームの一員となった。

「高知競馬は騎手が少ない分、攻め馬に乗っていなくてもレースに乗せてもらえることが多いです。その分で騎乗数も増えました。一つ乗って失敗したなと思っても、すぐに次のレースがあるのでそこでやってみて・・・」と反省を活かす場がすぐに訪れ、そこでまた色んなことを試せる環境があるという。

高知競馬で乗った印象をこう話す。

「高知はペースが全然違いますね。園田は1~2コーナーで(展開が)落ち着くんですけど、高知は向正面で一旦落ちつく感じなんです。で、最後はタレ合い勝負っていう。どの馬にもチャンスがある感じがします」

高知競馬場はコース内側の砂が深くて数頭分空けながらレースをしているが、「最初行った時はもう内しか回れなかったんですよ。みんな固まっていて出られないんです。園田はある程度展開が流れる分で隙間ができるけど、高知ははみんなずっと一緒に上がっていく感じで・・・。考えているうちに間に入られてしまって、どんどん深い内に押し込められてしまう。全然捌き切れなかったです」とかなり戸惑ったそうだ。

“今だ!”と思った瞬間に進路を見出して馬を動かす素早い判断が求められる中で培ってきた経験は「園田でも活かせますね」。

兵庫に戻って自分のレベルアップを試したいという気持ちがある半面、「高知でまだまだもっと勉強したい」と思いも強い。

今向き合っている課題について問うと、
「高知は前行ってなんぼの競馬場なのでみんなゲートが速いです。(所属厩舎の先輩である)スタート上手な林さん(林謙佑騎手)や田中先生に色々と教えてもらってゲートは少しずつ良くなってきたけどまだまだですし、展開を読むことについてももっと鋭くなりたいです。高知は展開読んだもの勝ちのところがあるので。その日の馬場はどこを通ればいいとか、この馬に合った乗り方はどうかとか、対応力がもっと欲しいです。そこは園田でも必要な力なので」と、しっかり自分に向き合っていることが伝わってきた。

「高知に行って正解でしたね。みんなあたたかく良くしてくれるので居心地が良いです。高知は園田と展開も違うので引き出しが増えました。デビューした時みたいな気持ちで乗れています」

高知では一日平均5鞍に騎乗し、試行錯誤を繰り返しながら11月末までの2ヶ月半で7勝を挙げた。勝てずとも人気薄で馬券に絡むこともしばしばある。

「流れを変えたい、勉強したいと思って行ったので、元々何勝したいという数字は目標にしていなかったのですが、ここまで来たら10勝はして帰りたいですね」

数字以上に中身が充実していることが大きい。仕事へのモチベーションも戻り、楽しくも真摯に仕事に向き合っている。

3年目の葛藤

現在の自身のアピールポイントを問うと、「う~ん、正直ないです(苦笑) ・・・ないって言いたくはないんですけど、追えるかって言われるとそこまでは追えないし、逃げられるかって言われても、ないんで・・・」と控えめな答えが返ってきた。

「自信がないわけじゃないんですけど、口に出せるほどのものはまだ持っていないので。五分にゲート出して展開読んでしっかり追えるジョッキーになりたいです」

それでも、デビューしてからの2年半で積み上げてきた確かなものはある。

これまで騎乗してきた馬の中で印象に残る馬としてホクザンゴールドを挙げた。所属の橋本厩舎の馬でデビュー戦でも手綱を取った。全8勝中6勝を長尾騎手が騎乗して挙げており、3歳時は度々重賞にも挑んだベストパートナーの1頭だ。

「結構逃げるレースが多いんですけど、僕にとっては良い馬ですね。大事にしていきたいですね」と、現在A2に所属するお手馬の1頭とのコンビ復活を楽しみにしている。

あとは石橋厩舎のクツワノオジョウも思い出深い1頭と語る。
B2に所属していたが不振で一旦C3まで降級。しかし長尾騎手の手綱で復活の勝利を挙げると、そこから10連続連対(8勝2着2回)。そのうち6勝を長尾騎手がもたらした。4連勝でB2も勝利し、さらなる飛躍が期待されたが故障してしまったのが残念でならない。

3年目、成績が落ちた。騎乗数も前年の3分の2ほどに減ってしまった。自分が悪いのは分かっていた。
「先輩方はそんな時期も耐えてやってきたし、もっと景気悪い時に生きのびてきたって話を聞いて。『まだ甘いわ』って言われて、よしじゃあ頑張ろうって」

「でもな・・・」
どうやってその悪い流れを変えたらいいか分からなかった。

「ホクザンゴールドがいなかったらもうジョッキーをやめていたかもしれません。あの馬に乗りたいという思いで気持ちが繋がっていたところもあります」と語るほど深かった悩み。

高知への期間限定騎乗が大きな転機となりそうかとの質問に、「もう行った初日から変わりました!」と胸を張って答えた。

自ら武者修行を決断して行動に移し、そして一つ壁を乗り越えて逞しくなった。こうして若者は成長していく。

未来へ向けて

目標にしている騎手は田中学騎手。
「乗り方、追い方が好きです。プライベートも含めて人柄も好きですね。橋本厩舎に乗ることも多いですしね。一緒に乗っていて勉強になることがたくさんあります。YJSの時に学さんに久々に色々と教えてもらいました。でももっと訊いてこいって言われます。理さん(下原騎手)にももっと訊けと言われます。会話がないって言われるんですよね・・・親にも」と頭を掻いた。

いつもにこやかに挨拶をしてくれる長尾騎手に筆者は社交的なイメージを持っていたが、自分の悩みごとはあまり周りには話さないタイプらしい。

「学さんみたいになりたいと思って頑張っています。『園田と言えば長尾』と言われるようになりたいです。今、上にいる人たちも最初からずっとすごかったかというとそうではないですから。橋本厩舎という良い厩舎に所属させてもらっているので、今は諦めずに勉強して・・・という過程を踏んでいきたいですね」

一つ大きな目標があるという。
それは所属する「橋本忠明厩舎のリーディングです」と明言する。

「所属厩舎大好きですね。お前が来てから流れ悪いわ~と言われているんで、結果を出して返していきたいですね。まだ橋本厩舎で主力になれていないので、僕で行けると胸を張って言ってもらえるように。自分が支える存在になりたいです」と自覚も芽生えてきた。

そして、「まずは減量を早く取りたいですね」と当面の目標も口にする。減量騎手卒業の101勝まではあと22勝だ(11/30現在)。

「早く取りたいですが、1kgの減量がある間に勉強して、取れてからが勝負なんで。取れても大丈夫っていう自信を持てたらなと思っています。期待して馬券を買ってくださるお客さんもいるし、馬主さんや調教師の先生、厩務員さんもいるので。早く技術を上げて、期待以上に走って来られるようになりたいです」

いざ、師走の川崎・中山へ。兵庫高知で試行錯誤を重ね磨いてきた“翼”を目一杯に拡げる時が来た!紆余曲折を経て、ここから翼玖はさらに未来へ飛躍する。

文:三宅きみひと 
写真:斎藤寿一   

information