調教師クローズアップ

俯瞰細観 先ずは一冠、重賞初制覇のその先へ

~玉垣光章調教師~

今年の4月3日、雨の園田競馬場に無敗の菊水賞馬が誕生した。
その名はオーシンロクゼロ。デビュー前からその素質は競馬サークル内に轟いていたが、デビューが遅れ、昨年の11月に初出走。そこから噂に違わぬ走りで破竹の4連勝を飾り、無敗のままで重賞初制覇を果たした。
管理する玉垣光章調教師にとってはこれが騎手時代を含めての初タイトル。
開業10年目の節目についに成し遂げた。
厩舎はここまでキャリアハイを狙えるスピードで勝ち星を重ね、リーディングも上位圏内にいる。そんな勢いに乗る玉垣厩舎を7年ぶりにクローズアップする。

開業10年目の重賞初制覇

「今までいろんなレースを勝ってきましたけど、なかなか味わったことのない、勝った後の高揚感というか、嬉しさはありましたね」と、玉垣師は菊水賞での重賞初制覇について静かに振り返った。

レース後はそれほど余裕はなかったが、多くの祝福メッセージが届き、1日経ったぐらいから実感が湧いてきたという。

家族がお祝いしてくれたのももちろん嬉しかったが、玉垣師には、5年ほど前に亡くなった義理の父の存在が脳裏にあった。

重賞勝利の後、お墓参りに行き、天国の義父にタイトル奪取を報告した。表彰式の時に受け取った花束を供えて。

「妻のお父さんにはずっと応援してもらってたんでね、開業当初から。競馬が好きなお父さんだったんで」。玉垣師は多くは語らなかったが、胸中に去来するものがあったことと思う。

オーシンロクゼロ

今から7年前の2017年、前回クローズアップで取材したときは、玉垣師はまだ開業3年目。当時、厩舎としての目標を2つ掲げていた。

そのうちの1つが ”看板馬を作ること”。
そういった意味では今オーシンロクゼロが活躍を見せ、厩舎を引っ張る存在として期待される。

「看板馬として引っ張っていく存在が現れると、厩舎に勢いが出ますしね。周りの厩舎を見ていたらみんなそうなっている」。

オーシンロクゼロの存在については、「楽しみですよね。レースをするごとに。勝つにしろ、負けるにしろ、やっぱり大きいレースに使えて、人気のある馬を走らせてもらえるだけでね」と語り、目を細めた。

菊水賞の時は半信半疑なところもあった。「まずゲートに1番課題があったんでね。それを無難に乗り越えられるかどうかに不安があったんですけど。あと休み明けでどこまで能力が出せるかというのもありました」。

能力があるのは分かっていたが、勝てるとは思っていなかった。
最大目標である兵庫優駿に向けて「良いレースができれば」、そんな思いだったという。
しかし、実際のレースでは不安定な駐立ながらも最高のスタートを切り、好位から内を突いて抜け出した。様々な課題を乗り越え、師の想定を超える快勝を見せたオーシンロクゼロ。

「休養に出ている間、良い仕上げをしてくれて、そして帰してくれたのが大きかったです」と、懇意にしている育成牧場との連携を勝因に挙げた。

ここ4、5年で関係を構築した淡路島の育成牧場「フォレストヒル」への信頼は厚い。
馬に負荷がかけられる坂路施設が備わっていることもあるが、「馬の状態面などを忖度なく言い合える関係なのが何より大きい」と玉垣師は話す。

オーシンロクゼロは菊水賞の後、今年新設の西日本クラシックに参戦。
ここで高知3歳最強の一角、シンメデージーとの一騎打ちに敗れ、初めて土がついたが、師に悲観の色はない。

「負けましたけど、それなりに力を出せましたし、もうちょっと道中で脚をためられたら(結果も)違っていたのではないかと。そこまでびっしり仕上げられていない段階では良いパフォーマンスでした。

もちろん相手も遠征でだいぶ馬体重を減らしていたので万全じゃなかったと思うんですけど、ロクゼロもまだ課題があるし。また戦う機会があればリベンジしたいですね」と今後が楽しみになる言葉も飛び出した。

レース後は若干疲れが見られたため、ケアをして牧場へ。
現段階では、そこから7月4日の兵庫優駿へ直行のプランだ。

兵庫優駿は、オーシンロクゼロを預かったときから、大田慎治オーナーとの目標だった。
オーシンロクゼロは、昨年大田オーナーが自身の還暦祝いに購入した。これが”ロクゼロ”の由来だ。どうせ買うなら兵庫優駿を狙える馬をというオーナーの思いがあった。

馬体に惚れて購入したが、幸運にも540キロほどの良い感じで成長は止まってくれた。これがあまりにも大きくなりすぎると脚元に負担がかかり、逆に小さすぎると重たい馬場に対応できない。ここまで馬体のシルエットは玉垣師が当初描いた青写真通りにきている。

本来は昨年の9月頃、オーナーの還暦の誕生日に合わせてもっと早くデビューする予定だったが、
厩舎に来たときに夏負けのような兆候が見られたため、初出走を遅らせた。
結果的にはこの休養が功を奏した。

今後のローテーションで兵庫優駿に直行というのも、あまりに夏が得意な馬ではなく、暑い時期に無理ができないというのが理由の1つだ。

オーシンロクゼロのストロングポイントは、ゲート内での気難しさはありながらも、そこから出ていく先行力と、距離を問わずパフォーマンスを発揮できる折り合いの良さ。
大型馬ゆえ、急にはトモがパンとしないが無理のない範囲で成長を促している。

「目標は兵庫優駿です。そこを勝てば三冠の夢も見れるかなと思いますね」と話した玉垣師は、さらにこう続ける。

「他の馬もまだ成長していくと思うし、まだ一緒に戦ってなくて上のクラスに上がってくる馬もいると思うんで、当日までは分からないですけど。兵庫優駿からはしばらく間隔がありますから、そもそもきちんと出走できるかも現状は分かりません。それでも、予定通り出られれば、ファンやオーナー、厩舎スタッフ一同の期待に応えられるように良いレースがしたいです」。

持ち前の慎重さは崩さなかったが、言葉には微かな熱が帯びていた。

厩舎成績の向上

そして、前回の取材時、もう一つ掲げていた厩舎の目標が”年間50勝以上”だった。

玉垣厩舎は5月31日現在で今年33勝、首位と差のないリーディング4位につけている。
開業から10年で最も早いスピードでの30勝到達だ。開業1年目に7勝、2年目に25勝、3年目、4年目に40勝を超えると、5年目でついに大台超えの52勝に。それ以降も30〜40勝あたりでコンスタントに勝ち鞍を挙げているが、5年目の52勝が現在もキャリアハイとなっている。

「このときは何となく勝っているなという感じでした。今は色々馬の状態やレース条件などを見ながら、乗り役とも相談していますし、厩舎にいる5人のスタッフも18頭を管理しながらうまく仕上げてくれている。
休養から戻す時期や使うレースなどをスタッフと密に相談しながらやれているのが大きいです。
スタッフのうち誰かが突出して勝っているということもなく、みんなが満遍なく勝ち鞍を挙げていて、厩舎内のバランスも取れている。
以前とは違って、たまたまではなく、うまく噛み合って良い成績が出ているのかなと思いますね。全体的に落ち着いて、余裕を持ってやれています」と、ここまでの好調ぶりを分析した。

勝つべくして勝っている。同じ勝ち星であっても、中身が違う。そんなところだろうか。

「これまでで1番早く30勝まできているなとは思うんで。まぁ夏場もあるし、どこかで勝てない時期もあるとは思うんですけど、年間通して50勝以上勝てたら、オーナーもスタッフも、良い1年を送れるかなと毎年思っています」。

厩舎のモットーは開業当時から変わらず、「まずスタッフを信頼し、意見を取り入れること。そして騎手にも助言を求め、オーナーと馬になるべく負担をかけないように、先を見据えてローテーションを組む」というものだ。

人との繋がり、信頼関係を大事にするというのは、7年前の姿勢と変わっていない。

騎手から調教師へ

高校卒業後、1996年に20歳で騎手デビューを果たした玉垣師。比較的遅めの競馬界入りだった。

そこから2006年9月までの10年余りで230勝を挙げるも、そこで騎手を引退した。

「騎手は1日でも長くやりたかったですけどね。結構未練はありました。でも騎乗依頼や勝ち星がないとどうしても次のステージを考えないといけないんでね。生活もあるんで」と当時を振り返る。

そこから調教師補佐に転身し、大石厩舎で8年務めた。

「調教師補佐の時は色々と馬について学んで、自分の中では良かったというか、世界が広がったというか」。

その後、2014年に調教師試験に合格。補佐になってからしばらく経ってのことだったが、この時代は、競馬場自体の売り上げが芳しくなく、この世界から去っていく者も多かったため、調教師になるべきか葛藤があった。

「そこからだんだんと競馬場も持ち直してきましたし、周りの同世代が調教師になり始めて、それで何とか経営していってたんで、自分もやっていけるかなという思いになりました」。

「悔しいことは多いですけどね。レースで負けたり、うまく仕上げることができなかったりしてってのはありますけど、でも今は日々楽しいですね」と充実感を口にした。

開業後は生来の人見知りもあって営業活動でも苦労した。北海道の牧場や栗東トレセンなどにも顔を出したが、皆忙しそうにしていて相手にされなかった。それでも続けた。

「だからもう1回同じことをしろって言われてもなかなかしんどいなって思いますね。何がきっかけでっていうのは特にないんですけど、全てですかね。色々したんで。何が起きるか分からないんでね、5年前に知り合ったオーナーさんがいて、そのときではなくて、そこから5年後に急に馬を預けてもらったりというのもあるんで。繋がりはずっと大事にしていますね。
色々な人と繋がりができる楽しさや、日々成長したり、チャレンジする気持ちが生まれたりとかそういう面で調教師になって良かったなと思います」。

玉垣師は今、騎手時代に味わいきれなかったものを味わっている最中だ。

そして同じ調教師仲間の存在も刺激になっている。

「悔しいというのはないですね。羨ましいとは思いますけど、新子先生とかはちょっとステージというか、次元が違いすぎて(苦笑)。
ずっと馬を調教して、自分で仕上げてっていうのがすごいですよね。
あのストイックさをずっと続けられるというのが考えられないです。

飯田良弘先生は緻密に戦略を練って、毎年リーディング争いをしていて、また違う意味ですごいですし、保利良平先生はなんかもってるものがあるというか、勢いが出だしたら止まらないんでね。
ですからライバル心はそこまでないですけど、置いていかれないようにはしたいですね」。

競馬界に入るきっかけ

騎手になるのが比較的遅かった玉垣師だが、学生時代はまだやりたいことが定まっていなかった。ボートレーサーに憧れた時期もあったというが、「機械をいじるのが得意ではなくて」という理由で諦めた。

小柄な体を活かせる仕事はないかと考えていたとき、たまたま競馬好きの伯父から、知り合いのオーナーを何人か紹介してもらった。

そのうちの1人はNARグランプリの年度代表馬にも選ばれた兵庫のレジェンドホース ”ケイエスヨシゼン”を持つオーナーだった。

地元の岡山県に競馬場はなく、テレビで見るだけの日々だったが、そうしたオーナーらとの繋がり、伯父の勧めもあって騎手の道を選んだ。騎手を目指してからは比較的トントン拍子に道が開けた。

人と人との繋がり、縁が結んでくれたのが今の自分だ。

今後の目標

今年の躍進についても、「たまたまです」と本人は至って冷静だ。
良い時もあれば、悪い時もある。悪い時にいかにリスクを回避できるか。
あくまで地に足つけての厩舎運営。それが長く続けるための秘訣だと考えている。

「調子に乗れるほどの人間ではないですから。自分のレベルは分かっているんで」と謙遜は続く。

その謙虚なトレーナーが次に見据えるのが、オーシンロクゼロでの兵庫優駿制覇だ。それが叶ったとき、その先の三冠も見えてくる。

「人間って、人生の中で輝けるとき、どこかでピークを迎えるときがあると思うんです。何回か訪れるであろうそんなチャンスが来ているのかなとは思います」と玉垣師は微笑んだ。

そして最後にこれから5年後の目標も訊いてみた。

「年間50勝以上でずっといけたら、そろそろリーディング争いできるのかなという気もしますけど、なかなか上は上で強力なんで。

年によっては2着が多いときもあるんでね。2着が多かったら、全然違いますよ。2着が多い厩舎はなかなか上には行けません。

(勝ち切るには)相手を見て、レース選択をしっかりして、という戦略ですね。1番は。
勝ち切っていくことでしか、勝負はできないと思っています」。

騎手や助手、調教師の経験を通して、1勝の重みは人一倍感じている。

話を聞いている際は、「取材を受けるの僕なんかでいいんかな」を連発、常に俯瞰して自分を捉えているのかなというのが筆者の受けた印象だ。

玉垣師は、中学生と小学生、一男一女の父でもある。休日はそんな子供らと遊び、時には健康のためにスポーツジムで汗を流す。
特にこれといった趣味はなく、中央も含めて競馬を見るのが日課。常に競馬のことが頭にあるといった感じで、真面目すぎるほど真面目だ。

「まだまだ全然達成感はないです。まだ40代なんで。できれば1年でも長く調教師をやっていたいですね」と、話を結んだ玉垣師。

あくまで自分のペースで一歩ずつ。7年前と変わらぬ姿勢がそこにはあった。

愚直に進むその先に、一際輝く瞬間が待っている。

文:木村寿伸   
写真:斎藤寿一   

information