優駿クローズアップ

さらば兵庫の『絶対王者』数々の名勝負を繰り広げた生え抜きの星

~ジンギ~

兵庫中距離路線の『絶対王者』ジンギが現役生活に別れを告げる。

白鷺賞、兵庫大賞典、園田金盃の3競走で連覇を達成するなど獲得した重賞タイトルは「11」。兵庫生え抜き馬ではロードバクシン(兵庫在籍時に12勝)に続く記録だ。

生涯収得賞金は兵庫歴代最高獲得賞金トップとなる2億1253万2000円。唯一の2億円ホースだったあのアラブの怪物「ケイエスヨシゼン」を上回る偉業を達成した。

2年連続で兵庫県競馬の年度代表馬(2020、21年)に輝くなど長期間に渡り兵庫の看板馬として活躍。これほどまでの成績を収められたのは、全身全霊をささげてきた厩舎関係者の努力があってのものだ。

管理する橋本忠明調教師、担当の山本秀信厩務員に約5年半の思い出を語っていただき、ジンギのデビューから引退までを振り返る。

絶対王者の引き際

6月6日の六甲盃で10着に敗れた翌日に引退の一報が届いた。6月12日にはジンギの引退記者会見が行われ、橋本忠明調教師から引退の経緯が語られた。

橋本「オーナーと相談させていただいて、良いコンディションで良いパフォーマンスが出来ず、これ以上格好悪いジンギを見せられません。ここで引退しようと決断しました」

引退レースとなった六甲盃は逃げるラッキードリームを見ながら2番手を追走。兵庫中距離路線を牽引する2頭が前を引っ張る展開に「もしかしたら?」と復活の文字が頭を過ったファンの方も多いだろう。しかし、向正面に入ると手応えが無くなり後退していった。

橋本「故障箇所についてはきれいに治っていました。ただ戻ってきてからピリッとする所がなかった。それにしてもあそこまで負けるとは思わなかったです。レース後どこも問題は無かったのでメンタル面ですかね?長期離脱もあったので気持ちが冷めてしまったのかもしれません」

1年以上をかけて脚の怪我を治療して厩舎に戻ってきたが、本来の力強い走りは影を潜めた。

入厩からラストランまでジンギを担当していたのが山本秀信厩務員。一時代を作った王者と共に過ごし、休むことなく世話をしてきた。

山本「大きな怪我をしているから馬自身がこれ以上走ったら危ないなと思って、自分でセーブしてしまっているかもしれないですね」

怪我の程度にもよるが競走馬にとって脚の怪我は命にも関わる。再発の不安とも戦いながら現役最後の六甲盃を走り抜いた。

2023年の名古屋大賞典6着以来、1年1ヶ月ぶりに復帰を果たした今年4月末のA1戦は、3角過ぎでの大きな不利もあり10着に敗れた。叩き2走目での巻き返しが期待されたが大きな変化は無かった。

橋本「うちに来てから怪我をしないように頑張ってきました。毎日大変だったがジンギも期待によく応えてくれました。振り返るとやり切ったという気持ちですね」

山本「六甲盃を見てこれが最後かなと。何かあったら嫌だなと思いましたが無事に帰ってきてくれたのでよかったです」

橋本「ファンの多い馬なので絶対復帰してファンの前に出そうという気持ちと復活させようという気持ちがありました。走る姿をファンに見せられて良かったです。引退が報道された時の周りの反応が凄かった。ジンギがどれだけファンに愛されていたか再認識できました」

六甲盃当日は王者ジンギの姿を一目見ようと競馬場に駆け付けたファンも多かった。全盛期の走りは影を潜めたが、彼が築き上げた功績は色褪せることはない。

力強い踏み込み、弾けるような豪脚で並み居る強敵を撃破し数々のタイトルを手に入れたジンギ。だが、頂点に立つ迄の道のりは決して平坦なものではなかった。

重圧と苦労の日々

北海道新冠郡新冠町の松浦牧場で2016年2月16日に産まれたジンギ。父はG1 6勝馬のロードカナロア、母はロイヤルインパクト。母父がディープインパクトという良血馬だ。最初はJRAの厩舎に在籍していたが、デビューすることなく兵庫県競馬へ移籍。西脇トレーニングセンターにある橋本厩舎に入厩した。

橋本「良血馬だったのできちっとモノにできるのかプレッシャーを感じました。うちに来て最初に思ったのが『小さくて迫力が無いな』と思いましたね。お父さんのロードカナロアや母父のディープインパクトみたいな体つきでした。でも、初めてコースに入ったら垢抜けていて迫力は凄かったですよ」

新馬戦の馬体重は463kg。以降も440~460kg台の馬体で屈強の猛者達を撃破してきた。恵まれた体格では無かったが、最初の調教から能力の片鱗を見せていた。

山本「初めてジンギに跨ったときに『この馬は走る』と感じました。こんなに凄い馬は二度と巡り合えないと思って大事に育てていこうと思いました」

山本厩務員は過去に野田学厩舎、利國彦一厩舎などに在籍。ポアゾンブラックやマンボビーンなどの重賞ホースを担当した経験がある。

橋本「山本さんは人より感性が優れていて、馬のちょっとした変化に気付けるので良い馬を沢山輩出できているのかもしれません。ただ、調教師と厩務員の意思疎通がうまくいかないとこれだけの馬は育ちません。強い信頼関係があったから素晴らしい成績を収められたのかと思います」

山本「馬の育成は大胆に攻めて繊細に馬を見るというのを基本としています。ただ、軽めに乗っていても馬は強くなりません。やらないといけない時はやる。強める時は強める。常にギリギリの所を攻めてきましたね」

橋本「山本さんはこれまで数々の重賞勝ち馬を育ててきているから『走る馬は怪我をする』という事を知っているんですよ。走らせすぎると馬体にダメージがくるので調整していかないといけないんです」

山本「過去の経験があったからジンギの育成がうまくいったのかもしれません。馬も1頭1頭タイプが違うので、馬に合わせた育て方をするように意識しています」

だが、入厩当初はジンギの幼い面を見せて厩舎関係者の手を煩わせていた。厩舎から馬場へ向かうだけでも一苦労だったという。

橋本「JRAにいたときは自分から走ろうという所が無かったと聞いていましたが、調教を始めた当初は速脚(はやあし)が出来ず、走りたい気持ちが強すぎて大変でしたよ。幼い面をみせて厩舎から馬場へ連れていくだけで苦労しましたね(笑)」

山本「調教が終わった後でも暴れたりするので常に気が抜けません。怪我をさせられないのでジンギの世話は大変でした。動きも機敏で噛みつかれたりもしましたけど苦ではありませんでした。可愛いですからね(笑)」

橋本「山本さんは馬に対して怒っている所をみせた事がないんです。噛まれても怒らずに馬をなだめていましたね」

若い馬は人に対して反抗的な態度を取ったり悪さをすることもある。怒って躾をするとさらに事態を悪化させる可能性もあり、将来に影響を及ぼすかもしれない。ベストパフォーマンスが出せるように充分な配慮を行って管理馬を競馬場へと送り出す。馬ファーストの姿勢が優秀な馬を生みだせる秘訣だ。

幼い面を見せるジンギに苦労しながらも発走検査、能力検査を無事合格し、2018年に行われた最後の新馬戦でデビューを迎えた。単勝2番人気だったが3番手追走から徐々に位置を上げると、直線は弾ける伸びで2着馬に6馬身差をつける圧勝で初陣を飾る。

橋本「無事に能検をパスして馬にもスイッチが入りましたね。新馬戦も凄い脚を使ってくれました。絶対的にスピードが違ったなという印象です」

翌年は砂を被るレースを経験させながら結果を残して重賞舞台へと挑む。鋭い末脚は大舞台でも光り輝き、園田ユースカップと菊水賞で重賞連勝を果たした。

橋本「園田で一流馬を作るとなるとビッグタイトルがある千七、千ハを走れないといけません。ただ、田中学騎手からは『道中乗りやすくて引っかかる面も無いので、距離が延びても大丈夫だろう』と言ってくれて不安はありませんでした」

世代の主役となったジンギは大一番の兵庫ダービーへ向かう。

難敵、夏の暑さ

兵庫ダービーも単勝1番人気の支持を集めたジンギだが、精彩を欠く走りで4着に敗れる。3ヶ月後の園田オータムトロフィーも4着。反応もイマイチで弾けるような豪脚は影を潜めた。

橋本「兵庫ダービーの時には既に暑さ負けしていて、本来の走りが出来ませんでした。今振り返ると無理して使わなければ良かったかなと思いましたね。兵庫ダービーは2着が多くて獲りたかったのですが・・・」

橋本厩舎は兵庫調教師重賞勝利数42勝、歴代5位の数字を誇る名厩舎だが兵庫ダービーは未勝利。クリノエビスジン(2014年)、コパノジョージ(2015年)、クリノヒビキ(2018年)と初出走から3回連続で2着。そして、ジンギをもってしても手が届かなかった。

山本「餌は食べていましたが、毛ヅヤが落ちてきていましたね。調教が終わって戻ってくると疲れてすぐ寝ていました。馬もまだ若くて暑さに対応出来ていなかったかもしれないです」

当時の地方各地のダービーは5~6月に実施されていたが、気温30度超になる事も多い。さらに梅雨時期にもあたり高温多湿となる。ジンギは日本特有の気候に苦しめられた。

気温の低下とともにジンギは調子を取り戻し11月の楠賞は2着。北海道のリンゾウチャネルには敗れたが次位は確保した。

橋本「勝てると思って送り出しました。この馬を倒せたら全国でもやれるなと思っていましたが、あそこまで子供扱いされるとは・・・。相変わらず調教では煩い面を見せていましたが、精神的に大人になりゲートも安定して良いポジションにつけられるようになりましたね。成長を感じました」

古馬に編入されてB1格付けからスタートしたジンギだが、順調にオープンクラスへ昇級。兵庫大賞典では当時兵庫のナンバーワンだったタガノゴールドに敗れたが、同厩舎のエイシンニシパには首差先着の2着。トップ級と互角に渡り合った。

2度目の夏を迎えた2020年。ジンギは橋本厩舎内で過ごし、お盆恒例のハンデ重賞「摂津盃」を目標に調整が進められた。その年から厩舎内にエアコンが設置された。

山本「摂津盃前に夏のレースでも乗り切れるよう厩舎内にエアコンをつけてもらいました。どの馬もそうですが真夏は無理したらバテてしまうので加減が難しい時期です。エアコンをつけた事によってジンギは夏を乗り越えられました」

橋本「3歳の時は牧場に放牧していましたが、エアコンをつけた事によって厩舎内で管理出来るようになり、摂津盃も良いパフォーマンスを見せてくれました」

馬が全能力を発揮できる環境を整えた事により、ジンギは「摂津盃」を2番手から抜け出す快勝。強豪が待つ秋のビッグレースへ弾みをつけた。課題の暑さをクリアして3つ目の重賞タイトルを獲得した。

グランプリ制覇 さらにその先へ

記者会見で「ジンギのレースで印象に残っているレースは?」という問いに対して、橋本師は『2020年の園田金盃』と答えた。園田金盃は毎年12月に行われる兵庫県競馬のグランプリレース。その年の総決算となる競走だ。

この年から園田金盃の1着賞金が3000万円に増額された。師走の高額レースには同厩舎のエイシンニシパ、テツ。JRA6勝の実績があるドライヴナイト。重賞2勝馬のタガノジーニアス。生え抜きで第一線で活躍を続けるマイタイザンなどが顔を揃えた。

橋本「園田金盃の1着賞金が増額された時は大きい所を狙ってやろうという気持ちが出ました。メンバーは揃っていましたが、このレースは絶対に負けられないレースだと思って臨みました」

レースはマイタイザンが単騎逃げに持ち込み、ジンギは離れた2番手を追走。前だけでなく後ろも気にしながらレースを進める事になるが、勝負どころからマイタイザンとの差をつめていくと4角で先頭。直線は切れ味抜群の末脚で後続に5馬身差をつけての圧勝だった。

橋本「勝たないといけないと思っていたので1番緊張したレースでしたね。勝ってくれた時はホッとしました」

翌年も勝利して園田金盃連覇を果たした。1985年、1986年のスマノヒット以来の連覇達成でサラブレッド導入後では初だった。

山本「2020年の園田金盃は出来もよくて自信満々でレースに送り出しました。休むことなく目標のレースにピークを持っていくために体調管理に気を使っていたので嬉しかったですね。ただ、3連覇はしたかったです」

3連覇を目指した2022年はスタートでの出遅れが響いて2着。前人未踏の大記録とはならなかった。それでも後方から上がり最速の脚をみせて力は示した。

橋本「あの時は馬が集中しきれていなかったのか、スタートのタイミングで馬が横を向いてしまいました。よく追い上げてきてくれましたけどね」

2020年の園田金盃制覇をきっかけにジンギは兵庫中距離路線を牽引する存在となった。園田・姫路の看板を背負う活躍を続けてジンギには『兵庫の絶対王者』という異名がつくようになった。

橋本「最高のネーミングですよ。ジンギの代名詞になりましたよね。生え抜き馬だからこそ名付けられるものですし最高の勲章です」と満面の笑みで答えた。

ただ、他陣営もそう簡単には黙っていない。王者を負かそうと新たな刺客を送り込み次々とジンギに牙をむいた。

橋本「シェダルとか強い馬達が兵庫にやってきたので正直しんどかったですよ。JRAでデビュー出来なかったジンギがJRA4勝馬を負かす事が出来たというのは嬉しかったですよ」

2021年の兵庫大賞典はゴールまで続いたシェダルとのマッチレース、クビ差で先着を果たした。520kgの大型馬相手に細身のジンギが伸び勝った。手に汗握る好レースに記憶に残っているファンの方も多いことだろう。どんな刺客が来ようとも兵庫の看板は譲らないと言わんばかりの気迫溢れる一戦だった。

2021年、2022年のジンギは、2年連続で同じローテーションを歩んだ。白鷺賞、名古屋大賞典(Jpn3)、兵庫大賞典、六甲盃、姫山菊花賞、園田金盃の年間わずか6走だ。JRA所属のG1馬、重賞勝ち馬のような使い方が出来るのもジンギという特別な存在だったからだ。

橋本「神経質な馬なので1年に5~6回しか使わないと決めていました。調教師を目指して牧場やJRAの調教師に付いて学んでいた時に年間6走前後の中央馬に携わりました。そういう馬の使い方出来たら良いなと思っていました」

その後、兵庫へ戻ってきて父の橋本忠男厩舎に在籍するオオエライジンを担当。牧場で学んできた事を活かし、時間を掛けて馬を仕上げ大舞台へと送り込んだ経験がある。

橋本「馬を長く活躍させるには馬を消耗させない、1回ずつが勝負となるので勿論、オーナーさんやスタッフに理解を得て貰わないと出来ません。そういう馬を育てたいと思っていたらジンギという特別な馬と出会えました。一生に一度当たるか分からない名馬ですよね。彼のおかげでこういう調整でいいんだという確信が持てました」

山本「回数の少なさについてはもう慣れましたよ。逆に中2週とかで使うと聞いたら『えっ!?もう行くの?』と驚くようになりました(笑)」

理想としていたローテーションで大舞台に挑んだジンギも期待に応える走りを見せてくれた。ただ、一つ心残りはあるという。

橋本「ダートグレードを勝たせてあげられなかった・・・勝ちたかった。ジンギの株を上げてあげたかったですね。挑戦するなら輸送距離も短くてローテーション的にも3月の名古屋大賞典が最適でした。距離も当時は1900mで絶好の舞台です。逃げて3着の時(2022年)は勝てると思っていました。勝ちに行って取れなくて悔しさしか無かったです。名古屋大賞典は因縁のレースです」と悔しさを滲ませた。

3年連続で出走した名古屋大賞典は、4、3、6着。ただ、同レースはJRA勢が上位を独占する事が多く、中央勢の一角を崩したのは立派なことだ。

橋本厩舎ダートグレード制覇の夢は、ジンギの背中を追い掛ける後輩馬たちが叶えてくれることだろう。

ジンギという名馬の存在

ジンギの主戦騎手といえば田中学騎手。兵庫の名手とのコンビで数々のビッグタイトルを獲得した。その田中騎手は持病の腰痛症で去年の11月末から休養中。復帰の目途が立っていない状況だ。

橋本「田中騎手じゃなかったらこんなに勝てなかったかもしれない。馬に競馬を覚えさせてくれる騎手で、その経験がその先に繋がるんですよね。ここまで良い成績を収められたのも彼のお陰です。六甲盃の後に電話で報告しましたが、最後まで乗れなかったことを寂しがっていましたね」

ジンギとのコンビはもう見ることは出来ないが、地方通算4745勝、重賞80勝を挙げている名手の復帰をファンは心待ちにしている。ゆっくり時間を掛けて戦いの舞台に戻ってきてほしい。

橋本忠明厩舎に約5年半在籍したジンギ。絶対王者の存在は厩舎全体に良い影響を与えていたという。

橋本「ジンギが厩舎にいると厩舎全体に良い緊張感がありました。不思議なんですけど、勝ち切れなかった同厩舎の馬が勝てたりするんですよ。ジンギの存在が厩舎に良い流れを持ってきてくれたのかもしれません」

重賞15勝のエイシンニシパと共に2枚看板として厩舎を牽引。テーオーエナジー、エイシンエンジョイ、エイシンビッグボスといった重賞ホースと共に勝利を積み重ねていった。橋本厩舎は開業2年目から去年まで10年連続で兵庫リーディングでベスト10入り。重賞は通算42勝。父・橋本忠男氏とはあと10勝で肩を並べる位置に来た。

橋本「ジンギが活躍してくれたことで私の名前を全国に広げてくれました。私にとってジンギは『宝物』です。良い馬を作っていくための『先生』で自信をつけさせてくれました。数々のビッグタイトルを厩舎にもたらしてくれたので、今はゆっくりさせてあげたいです」

山本「ジンギにはお疲れさまと言いたいです。毎日休まずに世話をしてきましたが、やんちゃ過ぎて捕まえるだけでも苦労しました。大変な馬でしたが今では良い思い出です。これまで良い馬をたくさん担当してきましたけど、忘れられない馬になりましたね」

一生に一度出会えるか分からない名馬と過ごした5年半。苦労を重ねながら輝かしい成績を残したジンギに労いの声をかける。2人の表情からはやり切ったという達成感と同時に寂しさも感じられた。

橋本「引退式が実施されるのは嬉しいですね。今後はオーナーと相談して良い余生が送れるようにサポートしたいです」

ジンギの引退式はまだ日時は決まっていないが、園田競馬場で近いうちに実施される予定だ。ラストランを終えたジンギは、引き続き西脇トレーニングセンターの橋本忠明厩舎で過ごしている。

現役時代はヤンチャな面を見せていたというジンギだが、現役を退くことが分かっているのか、既に落ち着いた表情を見せていた。

第二のキャリアに向け、“絶対王者”として戦い抜いた馬体をゆっくり休めている。後輩馬にバトンを託し、まもなく自然豊かな住み慣れた地を離れる。

兵庫が誇る「絶対王者ジンギ」。駆け抜けた5年半の記憶は、偉大な記録とともに末永く語り継がれていく。

文:鈴木セイヤ
撮影:斎藤寿一 

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