心願成就 開業20年目 悲願の兵庫リーディング
~森澤友貴調教師~
昨年の12月31日、大晦日までもつれた調教師リーディング争い。
悲願の初タイトルを狙う森澤友貴厩舎と連覇がかかる飯田良弘厩舎の熾烈なる戦いは、
最終的に森澤厩舎に軍配、過去3位は3度あったが、開業20年目にしてようやく頂点に立った。
激闘の果ての初リーディング獲得の思いや、そのリーディングに9度輝いた偉大なる父・憲一郎元調教師について、そして今後厩舎が目指すものを大いに語ってもらった。

大晦日までもつれた首位争い
「そうですね。もっと湧き上がるような感動を味わうのかなと思いましたが、この1ヶ月の攻防が激しかったせいか、獲ったことの安堵感が大きいですね。最後勝って決めたかったというのもありますし、最後はマジック消滅みたいな感じで達成したので(笑)。でも僕のみならず厩舎スタッフを含めて、チームで獲らせてもらったと思うので、それは喜び合いました」と、森澤師は悲願のリーディング獲得後の思いを吐露した。
それでは、まずその戦いぶりを紐解いていきたい。
厩舎リーディング争いを振り返ると、対飯田厩舎で見れば、前半からすでに抜きつ抜かれつの形で推移していった。
「首位に立ったのは春ぐらいですかね。3月、4月ぐらいからリーディングもいけるかなという手応えは感じてましたけど、これを年間でキープするのはそう簡単ではないだろうなとは思っていました」
その予想通り、後半に入ると、7月に一時は8勝差をつけて飯田厩舎を引き離すが、8月中旬に一旦迫まられる形に。ただ、このとき森澤師の心に焦りはなかった。
「抜きつ抜かれつとなった展開でも、僕自身が感情をコントロールできたというか、慌てなかったのは、いろいろ本を読んだり、ビジネススクールで経営学などを学ばせてもらったりする中で、量子力学的な、“強く思えば、思考は現実化する”と信じていたところも大きかったです。その良いイメージを自分だけでなくスタッフにも共有しながら戦ってこれたかなと」

12月26日、それまで首位を守ってきた森澤厩舎だったが、この日飯田厩舎は一気に1日4勝を挙げ、逆転で首位に立つと、続く29日も6、10レースと2勝して、一時は森澤厩舎と4勝差に。しかし、粘りを見せる森澤厩舎はその日の最終12レースを勝って、すぐさま3勝差に戻すと、翌30日にまた2勝を挙げて、1勝差まで迫った。熾烈なリーディング争いの行方はとうとう最終日の大晦日に持ち込まれた。
1着の数が同数だった場合は2着の多さで、それも同じ場合は3着の数で勝敗が決まるが、なんと両厩舎は2、3着の数もほぼ同じ。2着の数は飯田厩舎が、3着の数は森澤厩舎がそれぞれ1勝程度上回るというまさにがっぷり四つの状態であった。
だから最終日は勝ち負けはもちろん、2着3着に入れるかも焦点となった。
飯田厩舎は全部で4レースに出走、対する森澤厩舎は計5レース、うち1レースは2頭出しで最終決戦に挑んだ。
この日の5レース、アエディフィカータでC2戦を勝利し、87勝目。飯田厩舎とついに勝ち星が並ぶと、勢いそのままに同じくC2の6レースをダノンホダカで勝ち、連勝。今年の88勝目を挙げ、ついに首位を奪還した。
そして直接対決となった9レース、飯田厩舎は今年最後の出走。リーディングを獲るためには勝利することが絶対条件であったが、結果は5着。対する森澤厩舎は11着と敗れたが、この時点で森澤厩舎のリーディングが確定した。

最終結果は、
森澤厩舎:88勝 64(2着)47(3着)
飯田厩舎:87勝 64(2着)46(3着)
この数字を見るだけでも、両厩舎がいかに接戦を繰り広げていたかが分かるだろう。
「最後にそうなることは予想していたというか、飯田君が過去にそういう劇的な逆転でリーディングを獲ったシーンを覚えていたので、12月になった頃からこちらも最終週に向けて、勝てる馬を集結させてもらうというか、馬主さんの理解を得ながら最小限の馬の入れ替えを承認してもらったというのもありますし、なんとかそれが1勝差で勝てた一つの要因ですね」
最後まで諦めることはなかったが、一進一退の攻防はさすがに「ハラハラドキドキだった」と話す森澤師。
エイシンレオによる連闘策、しかもB1への格上挑戦(結果は2着)や、中央から転入してきたオディロンでいきなり勝利を挙げるなど森澤厩舎は最終盤に大攻勢をかけ、執念でリーディングを掴み獲った。
長い戦いで気は張りっぱなし、リーディングが確定した後は疲労困憊で、前述したように大きな感動よりも安堵感が強かった。決着がついた9レース後は、飯田師と固い握手を交わしたという。
「そうなんですよね。『おめでとう』と声をかけられて向こうから握手を求めてもらって、本当にそれがありがたかったというか、表情からもお互いやり切ったなという感じで。僕からは『飯田君が最後まで競ってくれたおかげで、自分自身も終盤にかけてより一層頑張れた』と伝えました。それを見ていた周りの調教師さんたちも祝福の拍手をしてくれて、暮れの良いシーンだったと思います。
本当にお互いフェアに力を出し切ったという感じで、飯田厩舎の所属ですが吉村智洋騎手を最後まで信じて有力馬を託しましたし、それに対して吉村騎手はこちらの期待以上の熱のこもった騎乗で勝利に貢献してくれましたから。プロとして厩舎に関係なく勝利を求めるのはもちろん当然のことなんでしょうが、そういう意味でもフェアな戦いだったなと思います」
実際に勝敗を分けた森澤厩舎の88勝目は吉村騎手の手綱によるものだった。
競走馬、騎手、調教師含め陣営の死力を尽くした戦いが、ドラマティックな結末を生んだ。

リーディング獲得の裏に
森澤厩舎は2005年8月に開業、今年8月に丸20年を迎える。この間、厩舎リーディングは最高で3位、2018年(79勝)、2021年(75勝)、2023年(78勝)と過去に3度ある。
リーディング獲得までの道のりに対しては、「うーん、長かったかな…。獲れそうで獲れないベストスリーまでだとか、前半はすごく調子が良くて、後半失速してっていう年も経験しましたから、ようやく獲らせてもらったという感じですね。ありがたいことに本当にオーナーさんに恵まれて、馬の質と数だけは、本当にリーディングを獲れても不思議じゃないというか、獲らないといけない厩舎だったと思います」
そんな中で、今年は最高の結果が出たが、これまでとの違いは何だったのか、その要因は年間を通しての“ペース配分”と“攻めの姿勢”にあるという。
「スタートダッシュはいつもすごく良くて1月から姫路開催も含めてそこでちょっと頑張りすぎるというか、結果的にそれが持続できないような傾向がありましたので、今年意識したのは、それを踏まえてイメージ的には序盤はゆっくりというか、毎月コンスタントに勝ち星を重ねて、終盤しっかり射程圏につけた上で、上位の厩舎に逆転したいというイメージで過ごした1年間でありましたので。そういう意味では、戦略がはまったかなという感じはしますね。
どうしてもちょっと馬を大事にという厩舎の理念も影響したのか、中2週、中3週と余裕を持ちすぎたローテーションで戦っていましたし、その結果、上位の厩舎に比べれば、出走回数も管理頭数の割には少なかったと思います。それは年始の時点で切り替えました。
勝率はコンスタントに2割前後でこられてたっていう自負はありましたので、あとは出走頭数を増やしていくと。決して馬に負担をかけない範囲で、使える馬に関しては、中1週、2週含めてどんどん使っていってという感じで、“出走頭数を伸ばす”というテーマを持ちながら過ごしていました」

兵庫県の制度上、以前であれば出走から90日以上経ってしまうと間にゲート検査が挟む必要があったが、それが半年に延びたことも大きかったと森澤師は話す。
「牧場から帰ってきて、1ヶ月経たないと使えないような馬が、帰厩後、2、3週間の良い状態で復帰戦を迎えられるようになったのも大きな要因であったかなと思います」
あと欠かせなかったのは“思いの強さ”だ。それは決して自分だけではなく、あくまでチームとしての思い。リーディング獲得は厩舎の目標であり、毎年掲げてはいるが、昨年に関しては「今年こそは決めるぞ」と年初のミーティングからスタッフに伝え、強い思いを共有したという。
「うちのスタッフはすごく優秀で、良い意味でも悪い意味でも個性が強い人が揃っているんですけど、それがチームワーク的にはどうかなと感じた時期もありまして。
それが、昨年の終盤、11月あたりから自分の担当馬の垣根を越えて、自分ができる仕事をそれぞれのセルフリーダーシップで、困っているスタッフがいたら率先して手伝ったり、担当馬以外でもレースに臨場し、積極的に危険な馬を2人力で引いたり、また担当以外の馬も乗れるスタッフは調教にも乗ってくれたりと、チームの結束というか、成長を感じるシーンが終盤に多々見られましたので、それは僕にとっても嬉しかったですし、目指していたものはここなんだなと感じましたね。
そして、何より自分自身のここ数年の変化ですね。ある時期は、勝てると思っていた馬が負けてしまうと、あからさまに落ち込んでしまうというか、感情をコントロールができないこともありました。それが競馬以外に経営とか様々なことを学んだ影響か、ある時期から結果だけでなくその過程に注目するといいますか、ネガティブなことが起こっても成長へのヒントをそこから見出す思考に変わってから楽になりましたね。長期で見られることで1年間平常心を保てた、それも今回目標を達成できた要因の一つですね」

森澤調教師はもちろん今回が初のリーディングだが、多くのスタッフにとっても自厩舎でのリーディング達成はこれが初。終盤にさしかかるにつれ、悲願成就を前にチームの結束は強まった。
「最終日の大晦日、僕が最後の出走馬の無事を見届けて厩舎に戻ったときは、みんなが待っていてくれて。固い握手から、『お互いやりきったよね、よくできたよね』と声を掛け合ったシーンを思い出しますね」
そして、リーディングを獲った心境を改めて訊いてみた。
「兵庫県のリーディングは僕の中では、開業当時からの一つの目標でしたから、もし最後の最後で取り逃がすようなことがあったら、落胆から立ち直るのに時間がかかったと思いますし、1勝差でも勝てたのは大きかったですね。スタッフに対しては、思いの強さは具現化すると伝えてましたので、その面でも負けるわけにはいかなかったというか、有言実行できて示しがつきました(笑)。スタッフにとっては、この業界で仕事を続けるにしても、たとえ今後業界を離れるにしても、一つの自信にはつながるかなと思います」

リーディング獲得後、森澤師に、そして厩舎全体に気持ちの変化はあるのだろうか。
「僕自身は、勝ちにこだわることも大事になんですけど、それ以上に感謝の気持ちというのを忘れたくないですし、厩舎を信じて馬を預けてくださるオーナーさんへの信頼を失わないよう、価値を提供し続けるというか。今回のリーディングも自分たちだけでは獲れなかったものですし、そこは驕らずに。必死に乗ってくれたジョッキーに対しても、そして声援をくれるファンの方々に対しても感謝を忘れずに、さらに強くしていこうと。そういう厩舎であり、人間的に成長しましょうとスタッフにも伝えています」

リーディングを獲ってからの変化というよりも、熾烈な戦いの中で生まれた厩舎の結束力、それが成長であり、目標達成後はむしろさらに気を引き締めて臨もうという姿勢が見てとれた。
一方、戦略的にはこれまでよりも攻めのローテーションで結果を出せたということで、今後への収穫もあった。
「普段からしっかりしたケアを心がけていて、疲労が溜まりきる前に休養をさせてもらっているので、在厩している馬は基本フレッシュですからね。日頃そこまで過密なローテーションで使ってきたわけではないので、年末のちょっとした中1週だとかその程度では全く馬には影響はなかったはずです。逆にいうと、馬によってはこういう使い方でいけるんだなとこの経験で学ばせてもらったというか、頭では分かっていたことでしたけど、確信に変わりましたね」

偉大なる父・憲一郎元調教師の存在
森澤師のリーディング獲得にあたっては、必ず触れておかなければならないことがある。
それは偉大なる父・憲一郎元調教師の存在。1994年から2000年にかけての7年連続を含む計9度にわたって調教師リーディングを獲得、兵庫県競馬の資料で確認できる限り(少なくとも1999年のサラブレッド導入以降)では、初めて親子でのリーディング達成となった。
過去には、親子で競馬についての議論が勃発した際、「そんな偉そうなことを言うならリーディングを獲ってみろ!」と、憲一郎さんから一喝されたとか。
リーディングを獲ったあとはどのような会話がなされたのか。
「実は年末、実家に帰る機会がありまして報告させてもらいました。母親から聞いた話では、僕がリーディングを獲る可能性が出てきて競り合う形になると、普段競馬の結果を逐一チェックすることがない親父が、毎日結果を気にしだしてソワソワしていて、一時期は半分諦めたりしてたと(笑)。
母親には『心配しなくていい。今年は大丈夫だから』と大きな宣言をしていたので、有言実行できてホッとしましたね。父親とは抱き合うまではいかないですけど、よくやったというか、固い握手は交わしましたね。僕のいないところではちょっと涙ぐんでいたという話は母から聞きました」

口数が多くない職人気質な父だからこそ、その表情や握る手の強さから喜びが伝わってきた。連続してリーディングを獲っていた時期は、その父を当時厩務員だった森澤師が支え、傍で勉強していた。厩務員のときから助手的な仕事も学ばせてもらったが、振り返れば、幼少期からすでに馬のことは叩き込まれていた。
幼い頃から厳しいしつけの中でタメ口も聞けず、今だに敬語で話す間柄。父というより、師匠というイメージが強い。だから尚更、陰で自分ことを気にかけている様子を知ると、胸にくるものがあった。
「時代の変化もありますので、同じリーディングでも内容はちょっと違うというか。アラブの時代を含めて、自分で新馬から馬を選び、育成から育て上げるという、転入馬というのもほとんどない時代の連続リーディングですし、重賞もたくさん獲っているトレーナーなので、それはやはり価値も大きかったと思います。
ですから内容としては違いはあるんですけれども、兵庫県のリーディングを親子で獲ったのは初めてとお聞きして、兵庫に森澤厩舎という名がそういう形で残っていくのは光栄だと思いました」

ちなみにそんな名伯楽の後を継ぐ形となったが、開業当初からプレッシャーは感じなかったそう。
「鈍感というか、スタイルとしては全く調教も経営も違うので。父の下では働いているときも、自分が開業したらも『あれもしたい、これもしたい』と独自のやり方を考えていたので。それも含めてプレッシャーはなかったんですけど、開業して難しい局面を迎えたときなんかは、親父ならどうするかなと想像することもありました。勝ち星云々より、馬のコンディションの回復だとかそういう面ですね。重賞の勝利数のみならず、1人のホースマンとしての能力はやっぱりまだまだ追いつかない部分がありますね」
森澤師は現在も、自身で何頭かに跨り調教をつけるが、憲一郎さんはそれ以上に長い間、しかも乗り難しい馬に率先して乗っていたそう。その騎乗技術のみならず、馬に何の問題があるかを見抜く洞察力、優秀な新馬を発掘する選馬眼を含めて、馬を見る目をリスペクトしていると森澤師は話してくれた。
「定年まで3年ほど残して、調教師を辞めて、そこからは厩舎に顔を見せることもありませんでした。燃え尽きたんだろうなという感じだったんですけどね。だから(今回のリーディング争いを)気にしてくれていたと聞くとね…。僕自身、兵庫のリーディングではありますけど、それを親父が生きているうちに獲ることが何より親孝行にはなるのかなと思っていたので。ただ、厳しい父とはいえ、孫をすごくかわいがっていて、僕が子どもの頃には考えられないようなデレデレした姿を見せていますから、今ではいいおじいちゃんです(笑)」

今後厩舎が目指すものは
「昨年に頑張りすぎた反動もあるので、馬のケアを優先にして今年はスタートしていますし、姫路開催から軌道に乗ると思います。もちろん2年連続のリーディングは狙っていますし、一つの目標を達成したことで、次のステップとしては重賞を勝つことですね。狙える馬はどんどん送りこんで大きなタイトルを積み重ねていきたいです。ダートグレードにも挑戦したい。幸いそれを狙えるオープン馬、転入馬が増えていますし」と、年末に転入初戦を勝ったオディロンや、復活を賭けるメイショウハクサン、転入してきた中央3勝馬のアウグストや重賞ウイナーのベテラン、ハナブサなど期待馬は多い。
それとよりよい厩舎運営を目指すと同時に、将来的な展望の一つとして、戦いを終えた引退馬のために何かできないかと考えていて、そのための勉強も現在しているそうだ。

以前、2018年のクローズアップの取材時は、ガーデニングやコーヒーへのこだわり、DIYをしていたりと多趣味な印象があったが、今はその頻度は減り、そういった日々の勉強が趣味のようなものだと話す森澤師。
ただ以前から続けているロードバイクだけは今も継続しているとのこと。
「息抜きでもあり、トレーニングでもあり、がっつり六甲山とか妙見山とか往復で50km、60kmぐらい、激坂を走っています。突発的に自分でつける調教頭数が増えても余裕で対応できるように。それに結構、山頂からの眺めが好きなので、絶景に浸っていますね」と、どこまでも無駄がなく、ストイックだ。

「ちなみに今、教養センターに戻りましたけど、(今年春デビュー予定の新人)米玉利燕三(よねたまり・えんぞう騎手候補生)にも、自転車を買ってトレーニングに連れていっているので、彼もおそらくデビューしてもトレーニングを継続してくれるのではないかなと、というかしてもらわないと自転車代がもったいない(笑)」
森澤厩舎所属でデビュー予定のルーキー米玉利候補生は、半年の実習期間中もとても前向きに取り組んでいたそう。
「騎乗センスも感じますし、人間的にも好きなタイプです。お父さんは結構ワイルドな感じで(保利)良平厩舎で厩務員をされていますが、また違うタイプの、今どきこんな素直でいい子がいるんだなという感じで。自分もこの歳になってできる関わり、育成の仕方もありますし、いいジョッキーになってもらいたいですね。
それに昨年リーディングを獲れたことも大きいです。昨年獲れず、また厳しいリーディング争いが続く中だったら、成績上位のジョッキーを選択する場面も出てきたかもしれません。でもタイトルを一つ獲ったことでどんどん米玉利を乗せていけると思いますね。可能性のある男だと思います」と期待を寄せる。
「何より無事に人馬が過ごせるように、そして厩舎として成長していける1年にしたいですね」と、最後を締めくくった森澤師。
お話を伺っていて感じたのは、厩舎リーディングのタイトルに関して特別な思いはあったにせよ、自身にとってはあくまで通過点であるということ。その目は遥か先まで見据えているようだった。
今年は馬も、そして騎手も育て、更なる高みを目指す森澤厩舎。次なるステージの活躍に引き続き注目したい。

文:木村寿伸
写真:斎藤寿一