騎手クローズアップ

夢の海外遠征 inオーストラリア

~鴨宮祥行騎手~

昨年デビュー13年目にして初めての年間100勝超えを果たした鴨宮祥行騎手、大晦日にも2勝を挙げて139勝まで勝ち鞍を伸ばした。

その翌日の2025年元日、彼は機上の人となった。向かう先はオーストラリア。

「年間100勝が達成できたら海外に行ってみたい!せっかく騎手免許を持っているんだから、もっと世界を拡げないともったいない!」と話していた(2024年2月1日クローズアップ)が、まさに有言実行の海外武者修行となった。

オーストラリアに渡って3ヶ月、オーストラリアで奮闘する鴨宮騎手の特集をお届けする。

園田からバララットへ

大晦日の園田競馬開催が終わってすぐに荷物をまとめ、大きな夢を抱えた鴨宮騎手は、翌日の2025年元日に成田空港からメルボルン空港への直行便に搭乗した。

赤道を越え、季節が逆の真夏の南半球オーストラリアへ約11時間のフライトだ。日本との時差2時間(夏時間)のメルボルン・タラマリン空港に着くと今度は陸路で進路を西へ。目的のバララットまでは直線距離で約90km、車で1時間ちょっとの道のりだ。

バララット競馬場のヘンリー・ドワイヤー厩舎に到着すると、厩舎内にあるシェアハウスに入った。旅の疲れも残る中、早速翌日1月2日の朝から調教騎乗をスタート。4ヶ月にわたる異国の地での武者修行が始まった。

まずは初日の印象として、「とにかく馬場が広くてビックリしました、スケールが違うな」と。

オーストラリア全土には、大小合わせて競馬場が350ヶ所以上あり、その中でも開催のクラスによって、メトロポリタン、プロヴィンシャル、カントリーに加え、ピクニック(アマチュア騎手のみ騎乗可)と4つの開催に分けられている。(ただし、バララットがあるビクトリア州はプロヴィンシャルの区分がなく3分割)

G1レースなどの主要レースが行われるメトロポリタンは日本で言えば東京・京都競馬場、カントリーは地方競馬場をイメージすればいいだろうか。

坂路の上から望むバララット競馬場
1~2コーナー側

バララット競馬場はカントリーに属する競馬場であるにもかかわらず、レースで使用される一番外の芝コースを中心に5つのコースがあり、さらに3~4コーナーの脇には坂路も併設されている。さながらJRAの栗東・美浦のトレーニングセンターのような立派な施設だ。

3~4コーナー脇にある坂路施設
矢印が坂路脇にあるドワイヤー厩舎

ヘンリー・ドワイヤー厩舎は、バララット競馬場の坂路施設のすぐ隣にあるが、その厩舎の敷地面積も日本とは桁違い。50頭分近い馬房があり、ウォーキングマシーン2基やトレッドミルも完備、厩舎内に乗り運動ができる馬場もある。

鴨宮騎手も、とにかくそのスケールの大きさに驚いた初日だった。

バララット競馬場周辺に住むカンガルーの群れ
坂路コースの脇には野ウサギも

驚いた日本との違い

ドワイヤー厩舎の中に住み込む形で新生活をスタートさせた鴨宮騎手の驚きはまだまだ続く。

「トラックライダーが各厩舎にたくさんいて、その中でも女性の多さにビックリしました」

日本では厩舎スタッフの女性の割合は2%にも満たないと言われているが、オーストラリアはライダーと呼ばれる調教をつけるスタッフなど現場で競馬に直接携わる女性の割合は半分を超えるという。

ドワイヤー厩舎の女性ライダーと

オーストラリアから日本に短期免許で訪れ、今年のフェブラリーSを優勝したレイチェル・キング騎手の活躍が記憶に新しいが、オーストラリアでは女性騎手の数が多く、女性の減量特典がない中でも男性騎手と同じ土俵で戦っている。現地取材中、9頭立てのレースで8頭に女性騎手が騎乗というレースもあったくらいだ。

日本よりも女性騎手が圧倒的に多いオーストラリア

「子供の時から馬が周りにいる環境で育っているから、当たり前のように馬に乗れるんでしようね。馬の仕事に憧れて騎手になる・・・とかではないんでしょう。あとは、朝と昼で馬の世話をするスタッフが違うんですよ、これも日本ではないですからね。労働の環境も良いし、物価が高いというのはありますけど、労働に対しての賃金もそれなりにありますし」

バララット厩舎の調教も3頭セットで馬場に向かう

「あとは馬と馬の距離が近いのも感じましたね。隣の馬にビタ付けで併せの常歩(なみあし)をしたりとか、馬場に入らない馬がいたら別の馬に乗ったライダーが隣に来て馬体をくっつけて引っ張っていくとか。日本やったら『近づけるな、蹴るから危ない』という感覚でも、こっちでは『寂しがっているから馬をくっつけよう』という考えなんです。装鞍所も馬と馬が近くて、ポールが並んでいるだけで仕切りもないし、その辺りは馬の育成段階から違うんでしょうね」

アララット競馬場の装鞍所

日本との様々な違いを肌で感じつつ、オーストラリアでの新生活がスタートした。

日々の調教

バララット競馬場の芝コース
暗がりの中で乗り運動

「西脇だと朝2時頃から調教に乗っていますが、こちらは6時から。しかも家から30秒で厩舎なのでギリギリまで家にいられます。朝6時から11時まで、多くて8頭の調教をつけます。朝行くとそれぞれの馬の調教メニューが決まっているので、それをチェックして乗って帰ってきて、馬を乗り換えて、1頭につき大体30分ずつ乗ります」

担当馬の調教メニューをチェック

現場では“Yoshi”と呼ばれるようになった鴨宮騎手、調教メニューにも“Yoshi”の文字が見える。ある馬はコースで、ある馬は坂路で、乗る距離や刻むラップも細かく指示されている。

ある日の調教メニュー この日は8頭に騎乗

「調教の技術は世界共通だなと思いました。調教に関しては何か苦労したということはないかな。ただ、オーストラリアでの調教は、ハミをガチッとしっかりかけて乗るのを好むんですね。あとは週に3本追い切りがあったりして他の日は軽めという感じメリハリをつけて乗ったり、レース当日に追い切ったりと色々と違いはありました」

渡豪前には英語の勉強もやっていたというが、なかなか一朝一夕に身につくものではなく、本人の言葉を借りれば「赤ちゃん英語でした」とのこと。

「1ヶ月位経った時に、パッケナム競馬場に調教に乗りに来てくれと言われて行ったんですけど、相手が話していることが分からないままいきなり馬に乗せられたんです。『トゥゲザ―?』って訊いたら『Together!』って言うのでついていって調教に乗ったんです。そしたら、まぁまぁ向こうは満足して終わってくれて。だから喋れなくてもスキルでなんとかなるんやなと思いました。これは自信になりました。馬乗りって世界共通やなって」

RSSのサポートを受けて

今回の鴨宮騎手の豪遠征については、現地の競走馬シンジケート会社「Rising Sun Syndicate(RSS)」 の全面バックアップを受けている。(RSSの詳しい説明はリンク先をぜひご覧ください)

RSSは川上鉱介氏が代表取締役を務める組織で、日本とオーストラリアを結ぶ活動もされており、JRAの坂井瑠星騎手や富田暁騎手、船橋の臼井健太郎騎手など、日本人騎手が豪遠征した際にもそのサポートをしていた過去がある。

RSS代表取締役の川上鉱介氏と (写真提供:RSS)

ドワイヤー厩舎には、RSSに所属する森信也氏もライダーとして働いており、鴨宮騎手にとって日本人は心強い存在となった。もちろん時には通訳となってくれたが、頼りっぱなしにはしたくなかったという。それは異国に飛び込んだら、その中ではそのしきたりに従うべきだという彼なりの考えだった。

「厩舎での仕事中は、信也さんがいても日本語で話しかけることはしないようにしていました。世間話を英語でできないから退屈で寂しいなというのはありましたね。最初は調教が終わったらもう1日が終わった感じで、あまり厩舎の外にも出ていなかったです」と、英語での会話を怖がってなるべく喋らないで済むようにしていたという。

RSSの森信也氏と

「食事をしにカフェとかファストフードには行っていましたけど、『Can I please have ~ ?』とか定型文を教えてもらって、覚えて使うくらいでした」

元々日本にいる時は、仲間と色んな楽しい話をすることでストレス解消できていた性分のため、それができないのはストレスになっていたようだ。2月末から3月頭くらいには、ホームシックのような感じになってしまったというが、その時に助けてくれたのは森信也さんだった。

「寂しさで気持ちが参りそうな時だったのでそれを相談したら釣りに誘ってくれたり、家でのBBQに声をかけてくれたりしました。ありがたかったですね。あとオーストラリア人は良い人ばかりなので、英語が喋れない中でも周りの人たちが喋りかけてきてくれて。単語で言ってくれてちょっとずつ理解して、少し会話ができてきて。英語の耳は慣れました、3月くらいから何言ってるかは分かるようになってきて。本当に色んな人の温かさが身に沁みました」

豪でのレース騎乗

日本でJRA遠征をした際に芝コースの騎乗経験は3度あったが、実は左回りコースでの騎乗経験は一度もなかった。オーストラリアは圧倒的に芝のコースが圧倒的に多く、周り方は州によって異なる。ビクトリア州では芝の左回りでレースが行われる。

「芝の経験もほとんどないようなもんでしたし、左回りがどうなのかなという不安が最初はありました。でも、初戦は外を回ったけど、自分の中で馬幅の感覚は掴めた感じはありました。なるほどって感じで、2戦目でもう左回りは大丈夫だなと感じました」

3月末時点で、オーストラリアでレース騎乗は58鞍を数え、実に25の競馬場での騎乗を経験している。

「こんなに乗れるとは思っていませんでした。ほとんど調教だけになるかもしれないと思っていたので、ありがたいですね」

競馬場への遠征は、基本的に自分一人での行動となる。そのため、現地で中古車を購入、自分で運転して競馬場へ行き、そして戻ってくる。

「バララットから近い競馬場でも車で片道1時間半弱、遠ければ4時間。1鞍だけ乗りに行って戻ってくることも多く大変です。3ヶ月経たないうちに走行距離は1万kmを超えました」

ヴィクトリア州を離れ、タスマニア州の競馬にも3度遠征し騎乗した。こちらはタスマニア島へ飛行機での移動が必要となり、レース時刻が遅ければ宿泊も伴う。

朝の調教を終えると、荷物一つ車に乗せて東奔西走。オーストラリアでは調整ルームのような制度はなく、自分が騎乗するレースの発走時刻の約1時間前に到着すれば良い。しかし、通訳が帯同するわけではないため、ほぼ毎回1人で競馬場を往復する。もし道に迷うなどアクシデントがあって時間通りに到着できなかったらという不安も常に抱えながらの毎日だ。初めての場所へ地図アプリの検索結果だけを頼りに長距離運転して、レースは数分、そしてまた何時間もかけてバララットに帰ってくるという生活が続いている。

伝説のムーニーバレー

1/24 はムーニーバレー競馬場での騎乗が予定されていた。自身初のメトロポリタン開催での騎乗である。ムーニーバレー競馬場はメルボルンのシティ内にある大きな競馬場だ。

「オーストラリアでは騎乗するレースの1時間前の到着で良いんですが、その日は初めてのメトロだし、シティで髪を切って少し早目に競馬場に行って色々と見て回ろうと思っていました」

髪を切り終え、iPhoneで競馬場の位置を「The Valley」と入れて検索。競馬場まで1時間半と出た。

「ムーニーバレーが市内にあるとは知らなくて。これまでも1時間以上の移動は当たり前だったので、違和感なく車を走らせました」

1時間半後、無事に到着したところは・・・。

「ザ・ムーニングバレーレーシングクラブスって書いているゴルフ場でした(笑) ゴルフバッグを抱えたおじさんが建物から出てきて。うわっ、これは終わったと思いました・・・」

当時乗っていた車はかなり古いタイプでエアコンもなく、車内での充電もできない状況。iPhoneの充電は既に残り12%。真夏に大汗と冷や汗をかきながら関係者に連絡を取って指示を仰いだ。

「ムーニーバレーのちゃんとした場所を調べたらゴルフ場から45分、到着予定18時ちょうどと出て。レースが18時45分発走で、既定の1時間前に到着することは不可能でした。でもとにかく行くしかないと。オーストラリアは厳密な1時間前ではないので、装鞍に間に合えばなんとかなると思いましたが、いかんせん充電が12%しかなくて・・・。土地勘が全くないし、初めての道でiPhoneでマップが見られなくなると終わるので、もう充電持ってくれと祈りながら走りましたよ」

発走45分前、充電残り3%。なんとか競馬場に着いた。

「でも着いたら今度は駐車場の場所が分からなくて。(笑)警備員さんと直接話せないので電話して通訳して話してもらったら、『ここに車を置いてすぐ行け!』と言われて。車は路駐してジョッキールームに駆け込みました」

エアコンのない車で汗だく、顔は真っ赤、昼間散髪してセットしていた髪もボサボサ。そんな鴨宮騎手の慌てぶりに他のジョッキーたちが大爆笑。なんとか無事に検量を済ませることはできた。

「他の騎手からは『What up? Why? Yoshi?』と。で、たまたま少しだけ日本語が話せるダミアン・レーン騎手がいて、彼に『ヨシさんどうしたんですか?』と訊かれたので、『競馬場に1時間前につくと思ったらムーニーバレーレーシングクラブスっていうゴルフ場に着きました』と通訳してもらったらドカーンとウケて、ジョッキールーム中が沸いて。『My iPhone… Low battery…』と言ったら、またドカーンって。(笑)外国人がこんな腹抱えて涙流して笑うなんてなかなか見ることにないよな、と」

この一件から現地のジョッキーたちとすごく仲良くなったという。

「どこの競馬場に行っても『Hey!Yoshi!』って言ってくれるようになりました。『今日はゴルフコースに行かずに来られたかい?』みたいなイジりをしてくれますね。まぁ間に合ったから最終的に笑い話で済んだし、他のジョッキーと仲良くなれたから良かったけど、いやーあれはメッチャ怖かった。初めてのメトロ騎乗で注目もしてもらっているのに遅刻で乗れなかったとか恥ずかしすぎるじゃないですか、もう伝説のムーニーバレーです(笑)」

トップジョッキーに志願

オーストラリアで騎乗を見ていて純粋にすごいと思う騎手がいた。それは、現地のトップジョッキー ブレイク・シン騎手だった。

「レーン騎手とかウィリアムズ騎手とかは知っていましたが、彼のことは正直知らなかったんです。ただ現地で見ていて『なんなんこの人!?上手いなぁ~』って。それでジョッキールームでずっと彼の動きをずっと見ていたんです。すると向こうから声をかけてきてくれたんです。『困っていることはない?あったらいつでも訊いてよ』とそんなことを言ってくれてた・・・んだと思います、多分(笑)」

ブレイク・シン騎手と記念撮影

競馬場で最初の会話をした後、思い切ってインスタグラムでダイレクトメッセージを送ってみた。

「一緒にトレーニングがしたいと翻訳ソフトを使って英語にしてメッセージを送りました。すると彼は『うちにおいで、一緒にトレーニングしよう』と言ってくれたんです」

その翌週、ブレイク・シン騎手の自宅を訪れ、一緒にトレーニングする機会を得た。一緒に木馬に乗り、トレーニング方法を教えてもらった。

「ブレイクは体もすごかった。しっかり腹筋背筋を使うとか、特に背中の使い方が勉強になりました。初めて2着(3/10 ウォーナンブール競馬場7R)に来た翌朝にはメッセージも送ってくれて、嬉しかったですね」

オーストラリアのトップジョッキー ブレイク・シン騎手

少しずつ連絡も取り合うようになった中で、たまたま同じ競馬場で乗る日があった。3/14のキルモア競馬場。この日は1Rと7Rの2鞍に騎乗予定だった。
1Rの騎乗を終えてジョッキールームに戻ると、次の2Rで騎手が決まっていない馬がいた。

「ボーっとしていたら、ブレイクが『Yoshi乗れるんじゃない?』と言ってくれて・・・それで急遽2Rにも乗ることになったんです」

単勝81倍の人気薄だったが、後方3番手追走から直線で一気に末脚を伸ばしてゴール前で2着に浮上する好結果を残した。オーナーはじめ関係者も喜んでくれた。

3/10の最初の2着は、スタート出遅れてしまい直線追い込むも届かずという本人にとっても悔しすぎる2着だったが、今回はようやく喜べる2着だった。ブレイク・シン騎手も「よくやった」と言ってくれた。

良いジョッキーを目指して

ここまで2着は2回あったが、58戦して未勝利。日本にいれば毎日のように勝利を挙げ、今年は年間150勝超えをも狙えるような立ち位置にいながら、今のこの状況をどう本人は捉えているのか。

「もっと良いジョッキーになるためにはどうしたらいのかと考えた時に、色んな経験をするべきだなと思いました。それが遠征の理由です。レースをバンバン乗せてもらえると思って来たわけではなく、日々の調教に乗ったり、それこそ街やカフェの雰囲気を味わったりするだけでも経験になる。乗ったことのない競馬場で他の騎手が乗るレースを見たり、上がってきたジョッキーの言動を観察したり。日本と違って鞍とか(斤量調整の)鉛とか全部自分で準備しないといけないですが、それは結構楽しんでいます」

今回の遠征では、有力馬の騎乗はほとんどなく単勝万馬券クラスの馬への騎乗が続く。オーナーや厩舎関係者は、当然レース後に乗った騎手からの感想や次走への提案を欲しがるが、それが難しい以上、「英語での会話が難しい騎手が乗っても大丈夫なら」という条件での騎乗馬集めではなかなか有力馬は回ってこない。

「後ろの方ばかりだけど、1頭でも多くかわそうとか、騎乗姿勢をしっかり取って乗ろうとか、走らない馬なりにやることはあります。昔、新人の時にやっていたことですよね。今は新人じゃなくある程度競馬の流れも分かっている中なので、他にも色々とやれることがあります。エージェントを通して厩舎サイドからの指示が事前にあるので、その指示はちゃんと守るとかも大事です。あとジョッキーの同僚からこいつは危ない騎乗しないと分かってもらえて同じ目線で見てくれる。言葉が通じない中でも、同じジョッキーたちに認めてもらえたのは嬉しかったです」

例え、力の劣る馬であっても、雑に騎乗することはなく、1つ1つの騎乗機会を大事にしながら着実に経験を積んでいる。

「オーストラリアでまだ勝てていないけど、焦りや不安はないですね。元々オーストラリアに来る前は正直勝てるとは思ってもなかったし、そもそもこんなに乗れるとも思っていなかったので。ただレースにたくさん乗せていただいているので、2月末くらいからは勝ちたいなという思いは出てきました。それでも、なんで勝たれへんのやろうという思いは全くないですね。1つ勝って日本に帰るのと勝てずに帰るのとでは、周りの見る目が違うというのはあるかもしれないですが、それは全然気にならない。未勝利に終わってもそれは関係ないです」

「4ヶ月限定って決まっている英語喋れないやつがオーストラリアに来て、これだけの騎乗数が取れるかといえば、普通は絶対取れないから。これだけ乗れているのはすごいことだよ・・・」これは前述の森信也さんが鴨宮騎手にかけた言葉だそうだ。
実際にJRAの坂井瑠星騎手であっても最初の半年はオーストラリアではレースに乗れなかったというから、今レースに乗れていること自体がすごいことなんだと自覚してる。

「上手いジョッキーになるためにはどうしたら良いを考えた上で今回のオーストラリア遠征があるので。調教でもレースでもちゃんと経験はできているので、自分を見失わずにやっています。良いジョッキーというのはレースだけでのことじゃないのでね」

“オーストラリアでの1勝”というのは、遠征前からそして今も目標には置いていない。毎日の調教から愚直にやれることをやり続けて経験を積み上げることの方を何より大事にしている。

ただ筆者は、その努力の過程で“オーストラリアでの1勝”という彼への「ご褒美」があって欲しいなと願っている。

残り1ヶ月

「毎日が新鮮で、毎日が驚きで、大変なことが多い中で自分の中では良くやっているかなと思います。怪我や事故もなく、体調崩すこともなく、迷惑もかけたけどこんなに一杯経験させてもらって、レースも乗せてもらって感謝ですね」

残り1ヶ月を切ったが、異国の地でかなり濃密な時間を過ごせているようだ。

「学さん(田中学騎手)からは、『園田に帰ってきたら競馬が楽になるから、今しんどいけど頑張れ!』と言われました。調教でハミをガッチリかけて乗るスタイルだったこともあってか、腹筋も背筋も付いて体が大きくなりました。その効果が日本に戻ってどう出るかは分からないですが、それが今は楽しみです。帰った時に馬乗りとして見える世界が変わっているんじゃないかと思って、そこは本当に楽しみな部分です」

「あとはみんなに良くしてもらいました。色んな人が行って来いと言ってくれたから来ることができて感謝だし、現地でのサポートにも感謝ですし。人に優しくしてもらって、自分も日本に戻ったらこうありたいなと思いましたね。人間として成長できたと思います」

オーストラリアでの数ヶ月、心身共に自身の成長を実感している。

今後は、従来の計画通り4月下旬にはオーストラリアの短期騎乗を終えて、日本に帰国する予定とのこと。「5/1には一度園田競馬場に顔を出すつもりです。騎乗はゴールデンウィーク開催の5日(祝月)からを予定しています」とのことで、早速、復帰当日の兵庫大賞典の騎乗依頼も入ってきているとのことだ。

「海外遠征は本当に勢いだけでした」と話すが、行きたいと思っていても実際に行動に移せる人の方が少ない。そして、実際に行動に移した者にしかできない経験があり、失敗をし、悔しい思いをし、悩み、修羅場を潜り抜けて、初めて見える景色がある。

鴨宮祥行騎手、31歳。騎手としての脂が乗り始めたこの時に課した自身への試練。

夢だった海外遠征を実現させ、ここから未来はさらに拡がっていく。来月には一回り大きくなった姿を園田で見せてくれるだろう。今後の活躍を楽しみにしたい。

文・写真:三宅きみひと
(3/24-28に現地オーストラリアで取材)

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