〜咲いた希望に到達する〜 地元重賞初制覇からの飛翔
~山本咲希到騎手~
9月18日、兵庫における今年の2歳重賞の皮切り、第27回園田プリンセスカップをココキュンキュンで制した山本咲希到騎手。ホッカイドウ競馬(門別)から兵庫に移籍して3年目でついに地元重賞初制覇を飾った。続く10月の金沢シンデレラカップもこのコンビで快勝と、この秋はブレイクスルーの予感を抱かせる活躍ぶり。移籍後も試行錯誤を繰り返す中で、ようやく巡ってきた良い流れ。今何を思い、何を目指すのか。その胸の内に迫る。

兵庫重賞初制覇とココキュンキュン
まずは9月の地元重賞初制覇について、山本咲希到騎手は、
「ほっとしましたね」と、一言。
地元兵庫の重賞タイトルを手にするという自身の1つの目標を達成したが、奇しくもこの日は奥様の誕生日とあって、勝利騎手インタビューの締めくくりでは、
「個人的な話なんですけど、今日妻が誕生日なんで本当に勝ててよかったなと思いますし、いつもありがとうございます。誕生日おめでとうございました!」
と、マイクを通して日頃の感謝と祝福の言葉を届けたシーンが印象的だった。
これに関しては、
「(勝ったらインタビューで)言おうと思ってました。競馬場に出ていくときも、誕生日って分かってたんですけどあえて妻には言わずに出てきたんで、もし負けたら帰ってから言わなあかんなと思ってたんですけど」
と、少しはにかみながら当時の胸中を話してくれた。
ちなみに奥様は、元JRA騎手で今は庄野靖志厩舎の調教助手である川島信ニさんの妹。
元々は北海道日高の白井牧場に勤めていた方で筋金入りの競馬関係者だ。普段の生活も夫婦そろって競馬漬け、土日は競馬中継を観るのが当たり前だという。
勝利騎手インタビューでこんなことを考えているあたり、レース前から相当自信があったのではと感じさせるが、実際ココキュンキュンに対しては戦前から好感触を持っていた。
「過去のレースを見て、ちょっと難しい面があるようなところも見受けられたので、追い切りに2回乗せてもらったときに、そのあたりと次のレースに向かうまでの状態を確認したんですけど、思っていたよりも2回とも折り合いの難しさをだいぶ我慢できているなというのもありましたし、バンと切れる感じもあったんで楽しみにしていました」

レース運びも、『ある程度強い馬、4コーナーまで連れていってくれる馬の後ろに付けるように、折り合いを気にしすぎてポジションが後ろにならないように』という長南調教師の注文通りの形にもっていくことができた。あとは追い出しのタイミングだけだった。
「もう前は相手の2頭でしたし、前の手応えと自分の手応えを見ても明らかにこっちの方が上だったんで。あとは出し抜けだけ食らわないように注意していました」
ココキュンキュンと初コンビでタイトルを手にしたわけだが、そもそも今回の騎乗、実は山本騎手自身が志願したものだった。
「(これまで乗っていた)吉村さんが北海道の馬に乗るということで、まだこの馬の乗り役が決まっていなくて、『乗り役が決まっていないなら僕に乗せてください』と長南さんに言いました。そういう意味でも勝ててほっとしましたね。責任を果たせたので」

そして、ココキュンキュンとのコンビでは反す刀で10月の金沢シンデレラカップも制し、重賞連勝を決めた。最内枠から好位で脚をため、直線は外に出して抜け出すという完璧な競馬だった。
「あのレースもメンバーがそんなに変わらなかったですし、2歳でこの時期に4つ勝っている馬もなかなかいないんで自信を持って臨みました。枠も内枠が欲しかったんで、行く馬を行かせて、箱というかその位置を1番取りやすい枠だったんで、もう狙い通りでなんの不安もなくという感じでした」
ココキュンキュンは馬ごみも全く気にしないように見えるが、
「むしろ前向きすぎるところがあるんで、馬の後ろで砂をかけて我慢させるぐらいの方がいいんで。基本的に考えるところはそこだけなんで。最後にどこか進路さえ開いてくれればという感じなんで、あまり競馬に行く上で不安はないですね。それがこの馬の強みだと思いますね。2歳の牝馬ですごいですね」
と、実戦での騎乗はまだ2回だが、完全に手の内に入れている印象だ。そしてこの馬とのコンビは揺るぎない自信が伝わってくる。
さらに伸びしろについては、
「(気性面が)もう少し素直になってくれれば楽になるんですけど。賢いんですよね。調教では普段厩務員さんが乗っていて、僕は追い切りだけしか乗らないんですけど、追い切りに行くのを渋ってみたり、ちょっと難しいところを見せてきたりするんで」
競馬に行っての不安よりも普段の調整の難しさ、競馬に臨むまでの過程に相当苦労するというココキュンキュン。本番ではどっしり構えて動じない感じだが、調教では鞍上が引っ張り切れないほどの馬力でかかってしまうという。そのパワフルさも才能ではあるが、コントロールが効くようになればさらに上を目指せそうだ。

ちなみにシンデレラカップ優勝時には愛する家族も観に来てくれていたという。このとき初めて2人の娘さんら(3歳と生後9ヶ月)とともに記念写真が撮れたそう。そういった意味でも思い出の1日となった。
今後は2歳グランダム女王を目指し、第6戦のラブミーチャン記念(笠松)、最終戦の東京2歳優駿牝馬(大井)に出走する予定だ。
「初戦に関しては志願させてもらって、それで続けて乗せてもらって感謝ですし、本当に特別な馬に出会ったなと思います。今までの重賞勝ちは、それぞれ違う馬で勝たせてもらっていて、初めて同じ馬で複数勝たせてもらったんでそれも嬉しいなと思いますね」
現在このコンビで無傷の重賞連勝中。山本騎手にとっては、自ら掴んだこのチャンス、この出会いが騎手人生のターニングポイントとなるかもしれない。

騎手になったきっかけと門別時代
2006年、ソングオブウインドが勝った菊花賞を観たのが騎手を目指すきっかけだった。まだ山本騎手が小学4年だった当時、競馬好きの祖父母に連れられて初めて訪れた京都競馬場が人生を変えた。
「なんせかっこよかったんでしょうね。あれだけの人数が同じ空間で盛り上がれるというかね。野球やサッカーとはまた違うし、全てが自分には衝撃だったと思いますね」
その日から競馬に興味が生まれ、翌週からは気づけばずっと競馬中継を見る少年に変わっていた。
「ディープインパクトが勝ったジャパンカップと有馬記念もテレビで観てましたし、それが結構記憶に残っていますね」
競馬に漠然と興味を抱いたというよりも、最初からジョッキーのかっこよさに惹かれていったという。
「みんなが騒いでいる中で、馬が走っていて、その上に人が乗っているという、ちょっと異空間というか異世界な感覚でしたね。馬になじみもないですし、全く知らない世界だったんで余計に興味を持ちました」
小学3年から6年まで空手を習っていたが、騎手になりたいと思ってからは迷いなく突き進んでいった。騎手になるための体づくりの一環として中学1年から陸上部に入り、それと並行して地元奈良の乗馬クラブに通った。最初は中央の騎手を目指したが、残念ながら受からず、その後は地方の騎手を目指した。地方の教養センターを卒業した後、2015年にホッカイドウ競馬でデビューを果たし、8年間在籍した。
「もちろん、門別は自分がデビューさせてもらったジョッキーとしての原点の場所ですし、今こうして乗っていられるのも向こうで築き上げてもらったからなんで。本当に感謝していますね」
デビュー後は、憧れの騎手になった嬉しさと、競馬の難しさの両方を感じた。
「やっぱり勝つことの難しさですかね。勝とうとしたら余計勝てないし。当初は甘く考えていましたね。当時はまだ新人なので技術もないですし、体重の管理も楽じゃなかったんで。まぁなんせ大変でした」

門別在籍時の勝ち鞍は
2015年 5勝
2016年 8勝
2017年 32勝
2018年 44勝
2019年 32勝
2020年 25勝
2021年 52勝
2022年 54勝
地方通算252勝、重賞4勝という成績を挙げた。自身のキャリアハイを更新した2022年の12月に兵庫県競馬へ移籍となったが、どういった思いからの決断だったのか。
「やっぱり門別は半年しか競馬がないので。僕は本当に競馬が好きなんですよね。乗ることが。ずっと乗りたいと思ってジョッキーになりましたし。デビューしてからも葛藤というか、半年しかないもどかしさはありました。それに新馬の育成とかも当然並行してやらないといけない。もちろん誰かがやらないといけない仕事ではあるんですけど、自分は競馬にずっと乗りたいという思いがあって」
もちろん最初から移籍が念頭にあったわけではなく、騎手としてやっていくうちに、“1年間通して競馬に乗りたい”という気持ちが強くなっていった。オフシーズンには短期騎乗を求めて、海外のマレーシアや、ここ兵庫にも2020年と2021年のいずれも11月から約3カ月間来ている。短期騎乗を続ける中で、競馬に乗っているときが1番楽しいと再認識したが、門別に在籍している以上、これを毎年続けていくわけにはいかない。
「半年門別で乗せてもらって、残りの半年はどこかへ行ってきますってのは僕のエゴですし、そんな勝手はできないんで。それだったらもう腹を決めて移籍させてもらおうという気持ちでした」
短期で2回来られたということと、1年中競馬をやっているという理由で兵庫へ移籍することに決めた。
「あと元々決めるときの理由ではなかったですけど、地元の奈良も近いというところですかね。最後に親孝行じゃないですけど、近かったら家族も観に来られますし」
兵庫移籍後は、騎手へ進むきっかけを作ってくれた祖父母も競馬場に来てくれた。
「おじいちゃんの方は毎週来てくれていたみたいですけど、結構生きがいになってたんで。今は体調が良くなくて、ここ1年ぐらいは来てないんですけど。だから兵庫に来てからの2、3年は毎週そういう生きがいを作ってあげられたんでそういう意味では良かったのかなと思ってますけどね」

兵庫への移籍と騎乗スタイルの変化
2022年の12月に移籍してから、3カ月間の研修期間を経て、2023年の3月に兵庫での騎乗開始となった。2023年は52勝、2024年は66勝、今年は10月末現在で41勝となっているが、本人はこの成績に納得していない。
「うーん、満足はしていないですね。もちろん1年通して乗ったから、門別で半年乗っていた分の倍勝てるかといったらそんな甘くもないですし。でもやっぱり求めている数字というか、結果には至っていないというのが正直なところですね」
根本的に門別とは馬場の広さも違えば、レースの流れも違うが、それよりも満足いかない現状の要因は自分でも理解しているという。
「この3年間、上を目指したいが故に、上手くなろうとか上手く乗ろうってしすぎる。マイナーチェンジをどんどんしようとすることが上手くはまらなくて逆に結果として後退していたというのもありました。ただ今はそのトライアンドエラーの繰り返しで、ある程度核になる部分というか、自分のこの部分は変えてはいけないなとかがはっきりしてきたので。これまではいじってはいけないところをいじったりもしていたんでね。もうある程度やらないといけないことは見えてますけどね」
そう話す表情にはもう迷いがないように見える。
その上で見えてきた大事なことは“気持ちの部分”。機械ではなく馬という感情のある生き物に乗せてもらっているという意識だ。
「これまでは馬に対しての理解が足りなかったし、人間本位でなんとかしようという思いが強かったですね」
いかに馬の邪魔をしないか、それが目指すところの“人馬一体”の一つのプロセスとなる。
山本騎手の騎乗ぶりを見ると、昨年から最後方一気の追い込みが目立つようになったが、それもこうした意識の変化からきているという。
「昨年から園田で最後方から追い込んで勝たせてもらったりしていて、今までだったら園田は小回りですしペースも遅くなるんで、出していってできればいいポジションで競馬がしたいというのがありましたけど、今は馬本位に変えて。なかなかテンに進むのが苦手な馬もいるんで、それなら“最後頑張ろう”って寄り添ってあげられるようになったかなと。そういうことができているのが一つのある意味答えというか。園田でそれをやるのは勇気もいるんですけどね。でも走ってくれるのは馬であり、その馬には感情があり、個性があるんで。そこに気づけたのが大きいです」
直線が園田より長い門別時代ですら、イメージのなかった“後方から差す競馬”。もちろん馬の性格、脚質にもよるが、馬の気持ちに寄り添う意識が自身の引き出しを増やした。

ヒントをくれた2人の名手
この意識は3年間の試行錯誤の中で見出した答えだが、そのきっかけをくれた人物が2人いる。1人は、騎手時代は2000勝を超える活躍を見せた永島太郎調教師だ。期間限定騎乗で2度園田に来た際にお世話になった厩舎でもある。
「昨年の春先ぐらいですかね。僕が苦しんでいた時期に太郎さんから『1回投げて乗ったらええねん。腹据えて乗るぐらいの感じで』というアドバイスをもらって、そこからですかね」
投げるというのは、JRAの武豊騎手の騎乗に見られるようないわゆる長手綱、手綱を短く持って馬をがっちり制御する方法ではなく、手綱はぷらっとさせたまま、馬の口にあまりハミを当てないようにする乗り方だ。
ちなみにこの表現について、山本騎手の義理の兄である川島信二元騎手に取材の流れでその意味を聞いてみたところ、
「それは“馬が引っかかって制御できなくなるのを恐れて手綱を短く持っていたら、馬が力んで息が入らないだろ?腹を据えて長手綱で乗ってみろ。馬をリラックスさせて走らせたら息が入る分、直線伸びるから!」という意味だろうね”と噛み砕いて説明してくれた。さすがはプロ、分かりやすい。
話を戻すと、その言葉が山本騎手の悩める心にスッと入り、自身の中に落とし込むことができたという。
自分の中で何かを変えないといけないと思っていた時期だっただけにそれはありがたい言葉だった。

そして自身の騎乗スタイルに影響を与えたもう1人の人物はJRAの武豊騎手だった。
昨年9月のゴールデンジョッキーカップ(全国から2000勝以上の騎手が集まる園田の祭典)で、武騎手は山本騎手のお手馬であったコンドリュールに騎乗してこの大会の連覇を果たした。
「レースの前後でコンドリュールのお話をする機会があったんで、そこで『あまりポジション気にせず、出たなりで馬の気持ちが乗ってきたタイミングで動いていく競馬が合っていると思うよ』と、豊さんから言われました」
先に永島調教師から言われた言葉と重なる武騎手からの助言。「やっぱりそうだよな」と自分がやろうと取り組んでいることの方向性を再確認できた上、「余計に背中を押してもらえました」と振り返る。
ちなみにこの日は武豊騎手がスペシャルウィークの勝負服で騎乗したことが話題を集めたが、その勝負服はそのあと山本騎手が譲り受けたという。
「『豊さん、服ください!』と言って、貰いました。家に大事に置いてあります。僕リーチザクラウンが好きやったんで。リーチザクラウンの話もできたんで」
きさらぎ賞など重賞2勝、2009年の日本ダービーで2着となったリーチザクラウンは元々はスペシャルウィークと同じオーナーで同じ勝負服だった。
そこからしばらくはリーチザクラウンの思い出話に花が咲いた。
「新馬戦には(小牧)太さんが乗っていましたし、太さんともリーチザクラウンの話はしました(笑)」
この話題になると、いつものクールな受け答えから、少年のような目の輝きと言葉の弾み方に変わるのが印象的だった。そして、「趣味はなく、競馬がとにかく好き。今でも家では競馬しか見ていないです」という言葉通り、競馬に対する記憶力、造詣の深さが会話から伝わってきた。

ちなみに山本騎手には3歳とまだ生後9ヶ月の2人の娘さんがいるが、半ば強制的に競馬中継を見せられているため、
「3歳の娘は西脇のジョッキーやったら勝負服見たら全員誰か分かると思います。ちょっとかわいそうなことしてるかなと思いながら(苦笑)。それに『競馬場に行きたい!』とも言いますしね」
ちなみに娘さん2人のお名前も競馬にちなんで名付けたということで、奥様含めてさすがは競馬一家といったところだ。
話を自身の騎乗論に戻すと、このようにつぶさに答えてくれた。
「僕は以前はポジションを取りにいく方で。基本ゲートもそんなに苦手な意識はなかったですし、結構折り合いには自信があるんで。どれだけ出していってもあんまり引っかかるという感覚は正直ないんですけど、馬からするとそれでもストレスはかかってるんですよね。僕は結構手応えがある方が好きだったんですよ。だからちょっとハミかけて乗っている方が好きだったんですけど、それは馬の負担にもなりますしね。そういう意識が芽生えたところでさらに豊さんの言葉が後押ししてくれました。もちろん馬に合わせての騎乗なので、全部がそのやり方ではないですけど」
一般的には長手綱の状態で引っかかると抑えるのに苦労するもの。折り合い面に自信があるという山本騎手だからこそそれを実践できているのだろう。
そしてこの技術の習得には、騎手の原点となった門別時代の師匠の教えが大きかった。

門別時代の師匠の教え
折り合いに自信があるというのは騎手として相当な強みに思えるが、
「ココキュンキュンもかかる馬なんで、僕なら抑えられるんじゃないかなという思いでしたし。もちろんそれまでに乗っていた吉村(智洋)さんが競馬を教えてくれた状態で僕が乗せてもらっているというのはあるんですけど」
そのストロングポイントが評価されて、その他にも前進気勢が強い馬の騎乗依頼で声がかかることも少なくない。そしてそれは門別時代に培われたものであることも明かした。
「北海道にいたときの師匠、僕がデビューさせてもらった厩舎の松本隆宏調教師に、『拳を上げるな』ということだけ言われたんです。あんまり色々言う人ではなかったんですけど。本当に数少ない教えの一つで。だから意図して今やっているんじゃなくて、それが当たり前だったんですよね。それが折り合いには非常に重要だと思います。そこは本当に感謝してますね」
ちなみに在籍当時より今の方が師匠との繋がりが強いと話す。
「(所属騎手を)辞めてからの方が関係性がいいですね。いがみ合っていたわけではないですけど、考え方の違いもありますし。本当に職人気質ですしね。技術は周りも認めるほどなんですが。例えば、競馬に乗りたくて遠征したい自分と、あまり遠征に前向きじゃない師匠みたいな。そういう意味では今所属している石橋満厩舎は外への意識がありますし、他場へ遠征も行くので自分と感覚は似ているのかなと思います。
まぁそういったことで門別時代は正直ぶつかりあったこともあるんですけど、ただ兵庫に来るにあたって波風を立たせず、一番事を丸く収めてくれたのも先生でした」
今、適度な距離感でいられるからこそ、そういったところに気づき、感謝の気持ちも生まれた。

10月のネクストスター門別では松本調教師が自分の管理馬にと山本騎手を呼び、重賞でのタッグが復活した。
山本騎手はそれ以前の7月末、3年ぶりに古巣門別で騎乗しているが、そのときに松本厩舎のトレビアンクリールに乗り、勝利を挙げている。
しかもこの馬の母ステファニーランは山本騎手が初めて道営記念(2017年)で騎乗した馬ということもあり、自身にとって感慨深い勝利となった。
「めっちゃ嬉しかったですね。そういう特別な縁を感じましたね。年に1回北海道に行くんですけど、師匠とはもう家族ぐるみの付き合いで、家に行ったりしますし、子供も会わせていますし。佐賀で重賞(2024年ウインターチャンピオン)を勝ったときもお花を贈ってくれましたしね。それはちょっと感動しましたけどね」
ちなみに園田で初重賞勝利を決めた際には、子供が喜ぶようにとバルーンアートをプレゼントしてくれたという粋な師匠。今となってはいい距離感で親戚のような良好な関係性ができている。
ちなみに勝負服に関して、門別在籍時はその松本隆宏調教師の騎手時代のものをそのまま引き継いだが、そのピンクとグリーンのカラーリングに加え、自身が好きだというイギリスの名馬エネイブルの勝負服(タスキの向きは逆)をイメージして、今の勝負服とした。
あくまで門別時代の8年間があったからこそ、今の自分がある。勝負服からもそんな意志が感じられる。

尊敬する騎手と海外での経験
自身が尊敬する騎手としては、前述している武豊騎手を挙げ、
「武さんの乗り方はなかなかできないんで。他の騎手が激しく追っても動かないような馬でも、武さんが乗ったら動くとかね。ガシガシ追ってないのに。言葉で説明できないですね。ジョッキーとしてデビューさせてもらってからの方がリスペクトがありますね。
根本的には技術云々は後付けで、どれだけ馬に寄り添えるか、馬のことを瞬時に見抜けるかというのが大事だと思うんですよね。その点、武さんは本当に馬の邪魔をしないんでしょうね。馬が気持ちよく走ってくれるポイントを知っているというか」
と、同じ職業だからこそ分かるレジェンドのすごさを熱く語ってくれた。

海外の騎手に関しては「みんなすごい」としながら、クリスチャン・デムーロ騎手やジョアン・モレイラ騎手らの名前が挙がった。そんなモレイラ騎手とは中央遠征時に交流もあったそうで、
「僕結構、短期騎乗で来ている人らと喋るのが好きなんですよ。以前マレーシアで騎乗していたこともあって多少英語も話せますし、モレイラは僕が門別時代に札幌の調整ルームや自分が中央遠征しているときに話したりしました。ライアン・ムーアとも汗取りしているときに話したことがありますよ。大きなレースの裏話なんかも聞きました」
マレーシアでは2019年の12月から2020年の2月頃までの3ヶ月間騎乗した。
「2018年に、『マレーシアで馬主をやってるんやけど来ない?』て声かけてくれた日本の人がいて、海外で乗ってみたいなと自分も思ってたんで。マレーシアの競馬ってなじみがないじゃないですか、だから余計に面白そうだと思って行きました」

英語の勉強をして、現地に赴くと、ニュージーランド人の調教師とトルコ人の奥さんの自宅でホームステイをさせてもらった。
マレーシアは芝のみで左回り。東京競馬場より大きい競馬場で騎乗したという。
「33回ぐらい乗せてもらって3勝して2着も7回ぐらいあっていい経験させてもらいました。海外の騎手はハングリーさがすごくて桁違い。良くも悪くもアグレッシブなんで、すごく刺激になりました」
そのときの経験が礎となって、外国人騎手にも臆することなく積極的に交流を図っていく。
「仲良くなったら喋るの好きなんで。いろんな人と喋ったら知らない発見もありますし」
ガヤガヤした雰囲気や、メモリアル勝利で自分にスポットライトが当たったりするのは苦手だそう。そういう部分で世間的には“孤高のクールガイ”のようなイメージがついているかもしれないが、実際はそんなこともないなと今回取材をさせてもらって筆者の印象は大きく変わった。

これから目指すべき場所
今後の目標をどこに置いているのか、最後に聞いてみた。
「何度も言っているように年間100勝したいというのはありますね。どのレースを勝ちたいとか、この重賞を勝ちたいとかは特別なくて。とにかく多く乗りたい、勝ちたい。そのためにここに来ましたし。という中での年間三桁の勝利ですね。具体的な数字としては。見たことがない景色を見たいので」
今年のここまでの勝利数に関しては、
「数字はちょっと情けなさすぎるなと思いますね。これは自分のせいなんですよ。今年の1月2日の初日が終わった時点では僕リーディングだったんですよ。昨年たまたま大晦日に大きな落馬事故があって、吉村さんも怪我されて、鴨宮さんもオーストラリアに行かれて。(トップが何人か抜けている中で)周りからは頑張りどきやぞと言ってもらってましたし、自分としてもそう思っていたんですけど、その気持ちが空回りしたかなって、勝ちたい勝ちたいというのが強くて逆に良くない方向に行ってしまって…」
そこから流れに乗れない時期が続いたが、6月に中央の福島遠征に行ったタイミングあたりで潮目が変わったという。
「結構、何かのきっかけが遠征だったりするんですよ。普段乗っていないところで感化される部分があって。一昨年もフェリシスで中央の京都に行かせてもらって調子がグンとよくなったかなと。同じところにずっといてるより、そうやって刺激を受けた方がいいですね」
そういった意味でいえば、ココキュンキュンとのコンビで来年以降もグランダムシリーズを戦い続ければ、自ずと遠征の機会は増える。自分のバイオリズムに合ういい流れが来るかもしれない。
そして目指す騎手像は、シンプルに“勝てる騎手”であり、“強い騎手”だ。
「上手く乗ろうが、下手に乗ろうが勝ったらチャラというか。とにかく“強い騎手”になりたいです。
馬本位ももちろん目指すところですけど、そういう馬だけではないし。引き出しの一つとしては大事ですけど、基本的にはハナ差でもなんでも勝ち切ることを求めたいですね、自分に」
会話の中で、何度も出てきた「勝ち切る」と「強い騎手」という言葉。
騎手・山本咲希到は今、勝ちに飢えている。

ちなみに、とても印象的な“咲希到(さきと)”という名前は、父が叶えられなかった夢と関係している。
「親父がF1レーサーになりたくて、鈴鹿サーキットで走ってたりしてたんですけど、ちょっと固い家というか、“怪我もするし危ないし、そういうのを生業にするのは許さない”ということで断念したみたいで」
家にはゴーカートがあったし、休日、父がゴーカートに乗りに行くのに一緒についていくこともあった。そんな父の車好き、サーキットへの思いがその名の由来となった。
競馬とカーレース、競技は違えどスピードで覇を競う部分では通じるものがあるし、父の夢の一端が今叶えられている部分もあるのかもしれない。
“咲いた希望に到達する”
その名に込められた願いの通り、兵庫の地で大輪を咲かせる日もそう遠くはないはずだ。

文:木村寿伸
写真:斎藤寿一