園田のアイドル誘導馬たち
~30歳アイスバーグの挑戦~
園田競馬場にはかつて伝説の誘導馬がいた。
マスコットキャラクター“そのたん”のモデルともなったその馬の名はマコーリー。
ニュージーランド生まれのマコーリーは、1998年からJRA京都競馬場で誘導馬を務め、2001年に園田競馬場に移籍。30歳の秋、2015年の姫山菊花賞での誘導を最後に現役から退き、その約1年後に園田競馬場で惜しまれながらこの世を去った。
馬の30歳といえば人間換算で約100歳。当時、“国内最高齢誘導馬”として話題を博したマコーリーがこの世を去って、はや7年が経とうとしている。
そんな今年、マコーリーと一緒に誘導した経験もある後輩誘導馬のアイスバーグが30歳を迎えており、偉大な先輩超えを目指して日々誘導の仕事を続けている。
現在、園田競馬場には誘導馬が3頭いる。
アイスバーグ(30歳)、メイショウシャーク(26歳)、ストラディヴァリオ(20歳)、いずれも白い馬体が美しい芦毛の騙馬だ。
その誘導馬たちの素顔を、普段の世話をして騎乗する誘導員さんに教えていただいた。
先輩超えを目指すアイスバーグ
アイスバーグは、1993年にニュージーランドで生まれた中間種。乗用馬として輸入され、JRA競馬学校で騎手候補生の訓練用馬として長きにわたって活躍した。
2007年からは京都競馬場の看板誘導馬として過ごし、2013年6月に園田へ移籍、同年7月26日のその金ナイターで園田デビューを果たした。
同じニュージーランド出身の先輩誘導馬マコーリーと同じ道を辿って園田にやって来て今年で11年目。マコーリーが誘導馬を引退した年齢と同じ30歳になった。
「マコーリーが30歳の姫山菊花賞(2015年10月16日)で引退したので、その記録を抜けるように頑張っています。マコーリーの時よりもアイスの方が状態は良いですよ。マコーリーは途中で腰を痛めてしまって運動もあまりできない状態だったんですが、それと比べるとアイスはしっかり動けている方だと思います」
立ち上がるのに時間がかかったり、歯が弱くなって、固い乾草が食べられなくなったりなど、高齢になるとどの馬にも出てくるような変化はあるが、アイス特有の気になる部分はないという。
元々600kgあった馬体重が今は480~90kgくらい。
「強い運動はさせていないので、その分で肉付きは落ちてきていますね。体重が減って痩せてくるとアバラや腰骨が浮いて貧相に見えてかわいそうという声もありますけれど、老いた馬にとっては太ることの方が足腰に負担がかかるので良くないんですよね。しっかりと食べて動けていたら大丈夫です」と年齢の割には元気で、誘導のお仕事もまだまだ元気に続けられている。
「今は暑くなってきたので、その金ナイターの夕方涼しくなってきた時間帯に誘導をするというのが基本になっています。ただ、金曜に雨予報が出ていたらその前日にするとか、調子が良かったら中1日空けて水曜と金曜に1回ずつとか、コンディションを見ながらですね。」
体力的な部分を考慮して、誘導する日も1日1回に限定しているとのことなので、本馬場入場の際に出会えたらそれはとても貴重な機会と言えるだろう。
20年に1頭の名誘導馬
実は、兵庫の石堂響騎手は京都競馬場の少年団出身で、アイスバーグが京都競馬場に在籍していた頃に騎乗経験があるという。
「小学4~5年の頃、アイスバーグは僕が初めて一人で乗った馬ですね。すごく大人しくて乗りやすかったです。僕が下手だったのでなかなか駈歩(かけあし)が出せなかったのを覚えています」と13年前のことを懐かしく振り返った。
アイスバーグが先に京都から園田へ移籍しその後に石堂騎手がデビューしたが、「園田で再会できて嬉しかったですよ。僕より年上ですもんね」などと楽しそうに相棒の昔話をしてくれた。
安全に初心者を乗せられる大人しい気性面、それがアイスバーグの魅力だ。
誘導馬は、何かに驚くなどして急に駈歩(かけあし)が出てしまうのは良くないこととされるので、性格的に誘導馬としての高い資質を備えていたと言えるだろう。
遡ること11年前、2012年4月18日にアイスバーグは京セラドームで大役を務めた経験がある。
プロ野球、オリックス対ソフトバンク戦の始球式にJRAの武豊騎手を乗せて登場したのだ。
「馬の習性として、変わった環境の中で何か動くものがあったら走って逃げてしまうんですね。そんな環境でも走り出さずに我慢して歩ける馬、となったらアイスしかいないね」ということで、当時京都競馬場にいた約20頭いる誘導馬の中から抜擢された。
そして、アイスは大勢の観衆が見つめる野球場という初体験の環境でありながら、堂々とその役割を果たしてみせた。
始球式に向かう武豊騎手を乗せて京セラドームに登場したアイスバーグ
(BsTV – オリックス・バファローズ 公式YouTubeより)
ほとんどの馬が16,7歳になると誘導馬の務めを終え、元気なうちに乗馬クラブなど次の場所へ移るそうだが、アイスは「20年に1頭出るか出ないかという馬」 他の馬にできない仕事ができる唯一無二の存在ということで、20歳になるまで京都競馬場に在籍した。
アイス・シャーク・ヴァリの素顔
「アイスが好きなものはもちろんニンジン、大好きですね。あとはバナナも。朝ニンジンをあげた時の食いつきでその日の調子が分かりますね」とのことで、歯は悪くなっていてもニンジンはしっかりと噛めるのだそうだ。
「あと内馬場に散歩に行くとクローバーが生えているんですけど、それを見つけると速歩や駆歩になって食べに行くんですよ(笑)」
普段ゆったりと歩く姿しか見ていないが、好きなものを見つけると一目散。そんな食い意地が張ったかわいらしい一面もあるのだとか。やっぱり“食”は長寿の秘訣なのかもしれない。
アイスバーグの後輩、メイショウシャークとストラディヴァリオについてもご紹介しよう。
メイショウシャークは、1997年生まれのサラブレッドで、今年26歳の騙馬。現役時代はJRAで2勝した。
2003年春に競走馬を引退し、その秋に京都競馬場で誘導馬デビュー。2012年に先代誘導馬ロングマリーンの急逝を受けて、京都から園田へ移籍した。普段は「シャーク」と呼ばれていて、少し神経質なところがあるのはご愛嬌。
京都競馬場でもアイスとシャークは一緒に誘導していた時があったが、園田在籍歴ではシャークの方が1年先輩となる。
「みんなが大好きで、3頭のムードメーカー的存在」というシャークは、自分から他の馬に積極的にコミュニケーションを取りに行く性格で、「人が話をしていても、『僕も仲間に入れてよ』って、その間に顔を出してきます」
しかし、アイスはもともと孤高で他の馬と触れ合ったりしない真逆の性格だったため、シャークがすり寄ってきても面倒くさがっていたとか。
ところがある時、シャークが疝痛を起こし苦しんでいる姿を見た時から態度が一変。シャークを心配してアイスの方から頭をつけたりして寄り添うようになり、今はお互いにリスペクトし合ってすっかり仲良しの関係だ。
ストラディヴァリオは、2003年生まれのサラブレッドで今年20歳となった騙馬。芦毛は父クロフネ譲り。3代母に桜花賞オークスの牝馬二冠マックスビューティという良血馬で、現役時代はJRAで4勝を挙げた。
競走馬引退後は、東京競馬場、京都競馬場で誘導馬として活躍した。2020年、京都競馬場が2年半の改修工事に入った直後の11月6日に園田競馬場に移籍。園田では同年11月24日に誘導デビューとなった。愛称は「ヴァリ」。
「ヴァリは少し人や他の馬との距離を取るタイプですね。なので、初めて園田に来たときはシャークのフレンドリーな性格に助けられていたと思います。シャークは自分が上になろうとせず、(先輩の)アイスには一歩譲っているところがありますが、そういったところでお構いなしなのが(一番年下の)ヴァリ。相手を攻撃しに行くわけではないけれど、ニンジンは我先に食べたいし、自由気ままに振る舞っています。(笑) 栗東→美浦→東京競馬場→京都競馬場と点々としてきたこともあってか環境の変化には強いですね」
3頭の誘導馬は全て白い馬体なのでなかなか判別しづらいが、ポイントがいくつかある。
まずは、鼻先の薄ピンク色の模様が3頭とも違う。目元も違っていて、シャークは少し白目の面積が大きくて三白眼ぎみだ。ヴァリは左前肢の膝に古傷の痕がある。
おしゃれの編み込みをすると分からなくなってしまうが、タテガミの流れ方もアイスは左、シャークとヴァリは右と違いがあるそうだ。
誘導馬の名前入りゼッケンが見えない時は、こういったポイントで判別してみて欲しい。
3頭のお仕事事情
通常開催時は全レース終了後に3頭同時に夕ご飯を食べるそうだが、サマー競馬(薄暮)とナイター競馬の時は事情が違うそうだ。
「アイスが誘導に行っている間に、シャークとヴァリに夕ご飯を食べさせるんです。アイスはお腹一杯になると動かなくなっちゃうので(笑)、帰ってきてからご飯ですね」
アイスは食べる前にお仕事した方がしっかり動いてくれるという理由もあり、夕ご飯前の16~17時頃にファンの前に登場することになっている。
体調やその日の天候を見て誘導スケジュールを決めているが、2頭誘導でシャークやヴァリに負担がかかる重賞レースがある週は、アイスが水・金曜と2回出ることで後輩たちの負担を減らす・・・など様々な面を考慮しながら誘導を行っている。
3頭も誘導馬がいる地方競馬場は珍しいそうで、「せっかくなので3頭出せるうちは出そう」と3頭同時にファンの前に登場するシーンを1年に何度かは作りたいと考えているそう。
「今、3頭誘導するのは国民的行事の時ですね。ハロウィン、クリスマス、それから年末と年始ぐらい。なので3頭同時に出るのは貴重な機会なんです」
誘導員さんもその時節に応じた衣装で着飾って登場するので、楽しみにされているファンの方も多い。そして、それはファンだけではなく、誘導馬たちも。
「今日は3頭誘導だと分かったり、乗り手がいつもと違う衣装だったりするとみんなすごく張り切ります。(笑)それぞれやることは分かっているので、アイスは自ら先頭に立って歩き、他の2頭は乗り手が指示しなくても後からついて行きます。シャークは自分が2頭の間に本当は入りたいんですが・・・やらないといけないことを分かっていて我慢していますね」
ただアイスバーグも30歳となり、年齢と共に3頭誘導が難しくなりつつあるという。
「重賞になると、かなりのスピードで先頭を歩いていかないといけないので、アイスにはだんだん負担になっているかなと思いますね。なので(3頭誘導は)今回が最後かなといつも思いながら乗っています」
現役を引退すると一気に老け込んでしまうというのは人間の世界でもよく言われることだが、馬の世界でもそれはあるのだという。
「高齢馬に人が乗って仕事させていることに対して疑問に思う人もいるかもしれませんが、馬に携わる人の多くは『元気なうちは仕事させてあげた方がいいよ』という声をかけてくれます。役割を失うと気持ちの面で落ちてしまうのか、競技馬でも引退後に早いタイミングで死んでしまういうことがあるんですね。なので、たとえ後ろ誘導(出走馬列の最後尾で歩く)でも、上に乗らずに人が引いてでも良いから、役割を与え続けていきたいなと思いますね。この仕事やってね、いつもありがとうねって」
アイスバーグ、新記録へ
誘導馬の“お家”は装鞍所の一角にあるが、去年から工事中のため今は仮住まいで生活をしている。
6月末にはその工事も終わり、新居に移ることになる。
新しく綺麗な“家”はさぞ嬉しかろうと思ってしまうが、実は誘導馬たちにとってはそうではないという。
「新しい厩舎にはエアコンも付けてくださっているんですけど、新しい所というのはどんなに設備が整っていてもこの子たちにとってはストレスなんですね」と、環境が大きく変化することで体調を崩してしまう可能性があるというのだ。
「特にアイスバーグは疝痛持ちですし、暑いのが本当に弱いので」と、夏を迎えるタイミングでの環境変化に細心の注意を払っている。
アイスバーグは、「20年に1頭出るか出ないか」というエリート誘導馬。
他の馬が隣でどんなに暴れていても動じないし、鞍上がドレスだろうと着物だろうと、どんな衣装を着ていても問題ない。先頭誘導も後方誘導も、1頭での誘導もできる。乗馬に慣れていないタレントさんを乗せることもできる。
誘導馬としての高い素質から「京都競馬場を引退したらぜひうちに」と下鴨神社や京都騎馬隊など各所からたくさんのオファーがあったそうだ。
しかし、「園田競馬場はマコーリーを最後まで大事にしてくれてたから」という信頼もあって、引く手あまたの中からアイスは園田競馬場に来ることとなった。
マコーリーをすごく大事にされた過去の誘導員さんたちがいたからこそ繋がった縁もあり、メンバーは変わっても今の誘導員さんたちにその温かい想いは受け継がれている。
最後に、現在3人いる現役の誘導員さんたちにやりがいを訊いた。
「小学生の時に憧れていた誘導員、また馬の世話が好きなので馬の仕事に関われて嬉しいです。3頭が元気にいられるようにお世話をしているつもりなので、1日の始まりに元気な顔を見られるとやりがいを感じます」
「一緒に仕事ができる相棒です。彼らがいてくれるから、この仕事ができます。かけがえのない相棒です」
「仕事という意識ではなく、お世話になった馬たちなのでそのそばにいてお世話させていただけて、それでお金がいただけるなんて、なんて幸せなことだろうと思います。水を替えたりマッサージをしたりといったことも含めて全部がやりがいです」
アイスバーグ、メイショウシャーク、ストラディヴァリオに日々愛情を注いでいる彼女たちの想いは一つ。相棒たちが日々元気に過ごし、しっかりと誘導を務め、そしてその姿を見てファンの皆さんに楽しんでいただけるように。
彼女たちの献身的なサポートを受けたアイスバーグが、暑い夏を無事に乗り越えて伝説の誘導馬マコーリーを超える。今からその時が楽しみだ。
文:三宅きみひと
写真:斎藤寿一
誘導員さん提供