戦場を去りしエイシンニシパを追いかけて
今年の夏、兵庫県競馬を長きにわたって牽引してきた2頭の名馬が現役生活に別れを告げた。橋本忠明厩舎所属のエイシンニシパとジンギだ。
どちらも晩年に大きな故障を発症して長期休養を余儀なくされた中、関係者の尽力が実って一度復帰を果たしたものの全盛期の走りを見せることは叶わず引退となった。
重賞11勝を挙げて2年連続の年度代表馬に輝いたジンギ。
そしてジンギの3歳年上で、兵庫県所属馬として歴代最多となる重賞15勝を挙げ、3歳から9歳まで7年連続で重賞タイトルを取り続けたエイシンニシパ。
6月の六甲盃を最後に引退が決まったジンギは7月25日に引退式を行い、多くのファンに見送られて競馬場を去った。
一方のエイシンニシパも6月に復帰し、実に1年半ぶりの戦いに挑んだ。ファンから大きな声援が飛んだが、全盛期の力を見せることはできずに敗れ、脚を痛めて再び放牧に出された。再起を期しての放牧だったが、2ヶ月後に陣営は引退を決断。8月下旬に放牧先の岡山から北海道へと移動し、9月4日に地方競馬登録が抹消された。
怪我をしていたこともあり引退式の実施が見送られたエイシンニシパ。今どうしているのか、そして今後はどうなるのか。兵庫県競馬に多大な貢献をし、ファンの多かったニシパを追いかけて、筆者は秋深まる北海道へ飛んだ。
今月のクローズアップでは、エイシンニシパの便りを関係者の話を交えてお届けする。
エイシンニシパの今
11歳まで現役を続けたエイシンニシパは、8月下旬から北海道浦河町にある栄進牧場で繋養されている。
札幌市街地から車を南東へ走らせること3時間。午後1時に浦河町の栄進牧場に到着すると、栄進牧場 生産部部長の名古屋唯男さんとちょうど厩舎から外へ出てきたエイシンニシパが出迎えてくれた。脚の怪我もすっかり癒えたとのことで、穏やかな表情をしていた。
現役時代からとても扱いやすい馬だったとのことで、それは北海道に来てからも変わらず。「人間の言うことを素直に聞くね。2ヶ月前に本州から北海道に来た時も特におどおどする様子もなく、環境変化にも動じなかったね」という名古屋氏の言葉通り、写真を撮られる時もうるさい仕草一つなく堂々としたものだった。
そのまま放牧地に向かったニシパだが、このまま翌朝まで放牧すると聞いて驚いた。霜が降りてきて寒くなる11月中旬頃には日中放牧に戻すというが、夏場は夜間放牧を実施している。
「大手牧場の高額な現役種牡馬だとそうはいかないだろうけど、馬のことを考えてなるべくストレスにならないようにね」と、狭い厩舎の中ではなく自由に動き回れる時間を長くとっている。
夜中はずっと放牧地でのんびり過ごす。「放牧場の中で立ったままうつらうつらしてるね。どれくらい寝ているんだろうね」と名古屋氏は笑う。
翌朝6時半頃に一旦厩舎内に入れ、裏掘り(鉄爪を使って蹄の裏に詰まった泥や汚物などを掻き出す作業)、洗浄など馬体の手入れをして、朝の飼い付け(食事)。午前中は厩舎内で過ごした後、昼飼いを済ませてまた午後から放牧に出る。夕方には夕飼いがあり1日3食ちゃんと食べてはいるが、それでも放牧に出るとしっかり牧草も食べる。
「最初は全部こうだったのが、もうすっかり食べちゃってね(笑)」と名古屋氏。ニシパのいる放牧地とその柵の外、生えている牧草の量を比べればその違いは歴然。すっかり短くなった牧草に鼻を擦り付けてモシャモシャ。ちゃんと食べることができているのかいないのか、いつまでも一所懸命にパクパクしている姿が微笑ましい。
名古屋氏が柵の外に生えている長い牧草をたっぷりとちぎり取り、「は~いこっちだよ~」と呼び掛けると、遠くにいるニシパは目を輝かせてやってきた。そして美味しそうにたっぷりの“おやつ”を頬張った。『もっとちょうだい』と前掻きをしておねだりをし、そのおかわりも終わってしまうと、今度は狭い柵の隙間から首を横にしてなんとか自力で長い牧草を食べようと頑張るニシパだった・・・。
一緒に暮らす仲間たち
“エイシン軍団”には日本ダービーを勝ったエイシンフラッシュをはじめ、たくさんの名馬がいるが、現在栄進牧場では、現役時代にG1を勝ち、種牡馬を引退した3頭ものんびりと余生を過ごしている。
福永祐一騎手を背に、香港G1を3勝するなどしたエイシンプレストン(27歳)
2008年の宝塚記念を逃げ切って勝利したエイシンデピュティ(22歳)
2011年のマイルチャンピオンシップ優勝馬エイシンアポロン(17歳)
このG1馬3頭の中に、この度エイシンニシパが仲間入りした形となる。
基本的に種牡馬になる馬たちは、競走馬時代に優秀な成績を残しトップに君臨した馬がほとんどだ。自分が集団のボスだという縄張り意識が強いため、一緒にしてしまうとお互いに噛みついたり蹴ったりしてしまい危険が伴う。そのため、牡馬は一緒には放牧できないということで、各々に柵で囲われた専用の放牧地があるのだ。
思い立ったようにニシパが突如嘶くと、それに呼応して隣のデピュティが、さらに遠くのアポロンも嘶いた。人間には分からないが、何か馬同士で会話をしているのかもしれない。
のどかな昼下がり、いつまでも見ていられる光景だった。
劇的な幕切れ 兵庫競馬史に残る新春賞
ここからは、関係者の話を交えながらエイシンニシパの現役時代を振り返っていく。
2013年3月15日、北海道新ひだか町の信田牧場で生まれたニシパは、2015年に門別競馬でデビューを迎え2歳で2勝した後に兵庫へ移籍、橋本忠男厩舎に入厩した。
移籍初戦こそ3着に敗れたが、その後3連勝を飾り、2016年3歳クラシックの主役候補に躍り出る。菊水賞はシュエットに敗れて3着、兵庫チャンピオンシップは地方最先着の6着と健闘を見せた。
雨中の決戦となった兵庫ダービーは2番手から早めに抜け出し、吉村智洋騎手が必死に追って粘らんとしたが、ノブタイザンの強襲に遭ってクビ差2着。橋本忠男調教師にとって最後のダービーは惜敗に終わった。
しかし、その3週後に行われた金沢のMRO金賞で田中学騎手が騎乗して勝利し、ついに重賞タイトルを手に入れると、秋には笠松の岐阜金賞を吉村騎手で勝利した。
そして4歳となった2017年1月3日の新春賞、兵庫競馬史に残る名シーンが訪れる。
翌日に勇退式を控えた橋本忠男調教師にとって、最後の重賞レース。鞍上は厩舎所属の愛弟子である吉村智洋騎手。「4角で先頭に立て」という師匠の指示通りに好位から早目先頭に立ったが、直線で外からタガノトリオンフが猛追。最後エイシンニシパとピッタリ並んだところがゴール!・・・軍配はニシパに上がった。わずかに数センチ差、愛弟子が師匠の花道を飾る劇的な幕切れを演出。吉村騎手は男泣きを見せ、勝利の喜びを分かち合う姿が感動を呼んだ。
主戦・吉村智洋騎手のニシパへの思い
吉村騎手は、「これまでで一番いい思いをさせてくれたのもニシパですし、一番悔しいレースもニシパですから。いてもらわないといけなかった馬ですね」と自分の騎手人生において、いかに大切な馬だったかを話してくれた。
「やっぱり一番悔しかったのはダービーですね。結果的には、ちょっと仕掛けも早かった感じ。『勝ちたい勝ちたい!』だけでは勝てない。ダービーで学んだのは、勝ちたい気持ちも大事ですけど平常心で乗れるっていうのがどれだけ大事かということ。本当に色んな経験させてくれましたね」
「新春賞の時はまた負けたんちゃうかなと思って。あの時もやっぱり焦って乗っていましたから。まあダービーの時よりはちょっとマシやったから凌いでくれたんかもしれないです(笑)
ニシパはあまり大きくは勝たなかったんですが、肝心なところでよく勝ってくれました。ゴール板の上げ下げとかでも出てくれてね、ナムラヘラクレスの時(2021年新春賞)も何センチかしかなかったですし。その辺、やっぱ偉いですよね。ゴール板を知っていたんでしょう(笑)」
エイシンニシパと共に勝った2016年の岐阜金賞が吉村騎手にとって実に5年ぶりの重賞制覇だった。そこから毎年重賞を勝てる騎手へと成長していった。今や毎年リーディングを独走する吉村騎手にとって間違いなくターニングポイントになった馬だ。
「今までずっと何年も支えてきてくれました。本当にもうお疲れ様ですの言葉しかないです。感謝しかないです。オーナーさんの牧場にいるとのことなので、余生を好きに楽しくゆっくり過ごしてもらえたら。どこかでね、時間がある時に僕も会いに行けたら」と、愛馬を労った。
父から息子へ 託されたバトン
引退した橋本忠男調教師に代わって、明け4歳のエイシンニシパのバトン受けたのは息子の橋本忠明調教師。開業4年目に入ったところだった。
「たくさんニシパで勝たせてもらいましたけど、父の引退式前日の新春賞が僕は一番印象的ですね。父の最後に活躍してくれた馬ですぐダメにするわけにもいかない。だからもうこの馬だけは引き継いでからも『何とかしないと』ってあれで思わされました。開業したばかりでしたが、勝たせないといけないプレッシャーがめちゃくちゃありました。でもやっぱりニシパが色々教えてくれましたね、今思うと。大丈夫や、大丈夫やって言ってくれてました」
忠明厩舎に来て3戦目のA1戦で転厩後の初勝利を挙げると、名古屋の名港盃を逃げ切り勝利。生涯唯一逃げたレースだったが、田中学騎手の絶妙なペース配分で4つ目のタイトルを取った。
4,5歳時は、忠明厩舎の主戦でもある田中騎手が多くの手綱を取ることになるが、吉村騎手が主戦となったニシパの晩年も普段の調教は田中騎手がつけていた。
「毎日調教をつけてくれる学くんとニシパが凄かったんです。学くんはすごく丁寧に調教するんですけど、ニシパもちゃんとそれに応えるんです。学くんが休むことになって、別の人が調教をつけると『めちゃくちゃ乗りやすい』って言うんですよ。ちょっとした重心移動でしっかり手前変えたりとか、 だんだん周回を重ねる毎に馬がグッとハミを取ったりとか。ニシパがもうこう良い感じで走るって自分で分かってるんですね。そういう風に学くんが教えてきて、馬もちゃんとそれを理解しているという。今まで何頭もやらせてもらいましたけど、 田中学とエイシンニシパの調教は忘れられないです。最高でした」
その田中騎手とのコンビでは、この年の姫山菊花賞、さらに翌年のはがくれ大賞典(佐賀)に優勝する。田中騎手もエイシニシパを支え続けた名パートナーの一人だ。
ライバルと共に成長し、人も育てたニシパ
5歳の2018年は、はがくれ大賞典の1勝に終わった。この年の重賞戦績は 1-5-1-2 と、2着が多かった。
同期には重賞7勝を挙げることになるマイタイザンがいた。エイシンニシパが6度走った新春賞で、唯一敗れた2018年の勝ち馬がマイタイザン、生涯何度も対戦したライバルだった。また、この年の秋には新子厩舎にJRAからタガノゴールドが転入し、ニシパの前に立ちはだかった。
姫山菊花賞はタガノゴールドとハナ差2着、園田金盃はマイタイザンとクビ差2着。ニシパも勝負強いが、ライバル達もまた強かった。
2019年を迎え、6歳となったニシパは幸先よく新春賞を勝利。さらに、佐賀ではがくれ大賞典連覇を飾ると、兵庫大賞典ではマイタイザンとタガノゴールドを見事に撃破した。ライバルと切磋琢磨する中で成長し、そしてついに大舞台でライバルを完封した。ここまで重賞はトータル9勝を数えるまでになった。
六甲盃の後、この年の夏はトモの歩様が悪くなり休養に出された。戻ってきたタイミングでニシパの担当は、藤川純 調教師補佐に代わった。現在は調教師として活躍する藤川師も当時はまだ橋本忠明厩舎のスタッフだった。
「ニシパがうちに移ってから担当厩務員が3人変わっていて、その3人ともがニシパで重賞を勝っているんです。みんなが馬に教えられました、自分のやってる仕事が間違ってなかったって。不安なこともあっただろうけど、ちゃんと結果出してくれて。スタッフみんなに自信をつけさせてくれたっていうのを一番感じましたね」と忠明師は話した。
エイシンニシパは、開業して間もない忠明厩舎のスタッフを育てるという役割をも担った。
藤川調教師が語るニシパの思い出
藤川師は調教師試験に合格する年までの約2年間、毎日エイシンニシパの世話をし、手塩にかけて育てた。
「オープン馬って結構我が強かったり、カッとするところもあるんですけど、悪さをしないし、本当に賢い馬でしたね。攻め馬に出ると、常にじんわりとかかっている感じ。全然ムキにはならないんですけど、やっぱり力あるなっていう感じはありました。背中も良かったです。佐賀とか遠征に行っても全然食欲が落ちなくて、寝藁まで食べちゃうぐらいどっしりしてる馬で。そういうとこもやっぱり走る馬ってすごいなと思いましたね」
「こちらが思っている以上に走ってくれる馬でした」と話した印象的なエピソードは2019年の園田金盃。トモの不安があっての休養明け初戦はA1で5着。一度叩かれても、調教していた田中学騎手と「(手応えが)なんか何もないね」っていう話をするくらい半信半疑な状態に思えたそうだが、「アタマ差の2着まで来てくれて。あの時はもうちょっと僕が信用してればなぁっていう反省がありました」とのことだ。
「ジンギを姫山菊花賞で負かした時(2020年)もそこまで自信なかったんですよ。でも強い競馬してくれて。本当にいつも一生懸命走ってくれる良い馬でしたね。良い馬をやると勉強することが色々あって、馬作りというところでもかなり役立っています」と様々な経験が財産になっていると話す。
「マイタイザンも同期でいましたけどそういうライバルもいて、みんなで『次は負けないぞ!』というのも楽しかったです。厩務員同士でもタガノゴールドの武田君(新子雅司厩舎の武田裕次厩務員)とかいろんなライバルが出てきましたし、最後は同じ厩舎の中でジンギの山本さん(山本秀信厩務員)とね・・・楽しい時間でしたね」
「重賞15勝、これを超える馬はなかなか出てこないでしょうね。これだけ無事に走ってくれるっていうのはね。晩年は重賞から重賞っていうローテーションでしたけど、重賞っていうのは思っている以上に消耗するものなのでね。それをこれだけ使うだけでも大変なのに、そこを勝っていくっていう。こんな馬はそうそう出ないと思います。本当にお疲れ様ですよね。ありがとうございますって感じで頭上がらないです。ぜひ牧場でゆっくり過ごしてほしいなと思います」
ミスター新春賞
藤川師が担当した約2年の間に、エイシンニシパは2020年の新春賞と姫山菊花賞を7歳で勝利し、8歳となった2021年には新春賞、はがくれ大賞典を勝利した。
これで重賞13勝、2000年台前半に活躍した三冠馬ロードバクシンの記録を塗り替え兵庫の歴代重賞最多勝馬となった。(ロードバクシンは兵庫在籍時に重賞12勝(笠松に転出後の1勝は除く))
この頃、3歳年下のジンギが本格化、厩舎の後輩が頭角を現し始めていた。2020年の姫山菊花賞ではジンギに勝利したものの、園田金盃は2着に敗れた。これを含め、ジンギが1着、ニシパが2着のワンツーが重賞で計4度もあった。
同時期に同路線の看板馬が2頭いたことについて橋本忠明師は、
「ありがたいことですよね。まずは目標にしたレースにお互い体調よく出せるとこまで持っていこうと。僕もですけど、スタッフはもっとプレッシャーがあったと思います。そうやってニシパのスタッフもジンギのスタッフもお互いに良いライバル関係だったんじゃないですかね。2頭いる難しさもあったけど、2頭いたから良かったっていうところの方が多かったです。重賞の1,2着を取れるなんてなかなかできないので、そこは2頭いてくれたからできたことですよね。ニシパとジンギで全国に僕の名前を売ってくれたんですごく感謝しています」と何度も謝意を表した。
そして迎えた2022年ももちろん新春賞から始動。2019年から2021年まで3連覇中、さらに2017年の勝利を併せると新春賞は5戦4勝と抜群の相性を見せる中、この頃には「ミスター新春賞」という愛称も囁かれ始めていた。
「4連覇目はしんどかったですね、さすがに。みんなにまた勝つんやろって当たり前のように言われましたけど、いやいや・・・年も重ねてるしハンデもあるし。そうは言ってもやっぱり応えて走ってくれたんでね。本当にすごい馬ですよ」
9歳という年齢もトップハンデもものともせず、新春賞4連覇&5度目の勝利を飾った。まさしく「ミスター新春賞」の矜持を見せつけた。
大きな故障から復帰 そして引退
新春賞の後は、この年も佐賀のはがくれ大賞典へ出走。2018年1着、2019年1着、2020年2着、2021年1着と抜群の相性を見せるレースで、前年の兵庫ダービー馬スマイルサルファー以下を完封し、同レース4勝目を挙げた。これで重賞15勝目となった。
その後、年齢もあってか重賞では1秒以上離されて負けるレースが続いた。園田金盃5着の後、新春賞5連覇を目指していた年末の調教中に管骨を骨折。初めての大きな故障となってしまったが、手術で患部にボルトを入れて現役復帰を目指した。
「今は時代も変わってきていい治療法もあるので、そういうのもやりながらいけるのではと進めてきました。今年に入って結構調教量も増やして乗れましたし、 なんとかレースまで持ってこられました」
去年は丸々休養、復帰まで1年半かかったが、関係者の努力が実って2024年6月12日についに復帰戦を迎えた。しかし結果は9着。結果的にはこれがラストランとなった。
「以前の能力は発揮できなかったですね。大きく負けちゃって、で、また別の箇所を痛めてしまって。一旦は復帰を目指そうと岡山の牧場に出したんですが、また大きな怪我にならないうちにと思って引退することになりました」
11歳まで現役で走り抜けたエイシンニシパは、3歳から9歳まで7年連続で重賞を勝ち続けた。
「7年連続ってやっぱり難しいですから。それだけ馬自身も強かったし、怪我もしなくてね。扱いやすい馬で、オンとオフがはっきりしていました。無駄な力は使わない、レースで走るんだということを馬自身が分かっていました。追い切るとレース近いんだっていうのも感じ取っていましたし、頭が良かったです本当に」
「間隔を開けて使わせてもらったんですけど、調教の本数がちょっと足りないかなとか、ちょっと間隔を空けすぎたかなっていうのがあっても、やっぱりニシパが結果出してくれて、それで大丈夫なんやって自分のやってることに自信を持てたっていうか。間違ってないよっていうのをね、ニシパもジンギも教えてくれました。僕の先生ですね。迷いを取ってくれました」
橋本忠明調教師は、今年の兵庫優駿をマルカイグアスで初めて勝利、「ダービートレーナー」の称号を得た。そこには間違いなく“ニシパ先生”からの7年以上にわたる教えが生かされていた。
来春に向けて
栄進牧場で自適悠々の生活を送るエイシンニシパの所へ、筆者が取材に行くちょうど前日に橋本忠明調教師と藤川純調教師が訪れたそうだ。
北海道のセリに参加する合間で寄ったとのことだが、「体はもう競走馬じゃなくなっていましたけど、ゆっくり休んでるんだなと思いました。可愛がってもらっているなっていうのはすぐ分かりましたし、来年プライベートで3頭ぐらいは種付けしたいっておっしゃってたんですごく良かったなと。またその子供もやってみたいですね」と忠明師は目を細めた。
栄進牧場の名古屋氏によると、種牡馬になるためにこれから精液検査を行う予定とのことだ。まずは種馬場に連れて行って、試験種付けをして精液を採取。精子がちゃんといるかなどを家畜保健衛生所で検査する。
「今はまだ大人しいけどね、種付けする繁殖シーズンになったらうるさくなるよ。牝馬のにおいがすると余計にね。お父さんのワイルドラッシュはなかなか繁殖牝馬に乗ろうとしないで、種付けに気をつかう馬だったけど、ニシパはうまくやって欲しいね」と早くも来春に思いを馳せた。
「ワイルドラッシュの後継種牡馬がトランセンドだけなんでね。ニシパから良い子が出てくれればね。でも花嫁がどうなるか、集まるといいけどね(笑)」と親心を見せていたが、きっと来春にはエイシン軍団の中から血統的に相性の良さそうな繁殖牝馬が交配相手に選ばれることだろう。
順調にいけば、ニシパの子供がデビューを迎えるのは2028年夏。子供たちと園田競馬場で会えることを楽しみに待ちたい。
重賞15勝、7年連続重賞勝利・・・そんな偉大な記録と共に記憶にも深く刻まれる活躍を見せた兵庫が誇る名馬が戦いの場を去った。
日々行われている幾多のレースの中で鍛えられ、選び抜かれた馬たちが鎬を削り、そしてまた次の名馬が誕生する。
偉大なエイシンニシパを追いかけて・・・。
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エイシンニシパに直接会いに行きたいというファンの方も多いと思いますが、栄進牧場におけるファンの見学は夏期のみため、10月末で終了しています。来年5月から再開予定とのことですので、訪れる際は 競走馬のふるさと案内所 の牧場見学ガイドなどをよくお読みになり、見学可能時間を調べた上でぜひ来年会いに行ってみてください。
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文・写真:三宅きみひと
写真:斎藤寿一