騎手クローズアップ

受け継がれし血脈 兵庫ゆかりの2人のルーキー

~小谷哲平騎手・米玉利燕三騎手~

兵庫県競馬の今年の新人騎手は、地元ゆかりの2名。2年間に及ぶNAR地方競馬教養センターでの騎手課程を経て、4月15日(火)の園田競馬場で無事にデビューを果たした。いや、むしろ無事にというより、デビュー週で共に初勝利を決めているところを見れば、華々しいスタートを切ったというべきだろう。

小谷哲平騎手、米玉利燕三騎手、ともにここ園田と関係深い競馬一家で育った。どのような思いを持って、自身もこの世界を目指すようになったのか、今回のクローズアップはデビュー間もない2人のルーキーの人となりに迫る。

小谷 哲平(こたに てっぺい)騎手

2008年3月27日生まれ、兵庫県出身の17歳。父はここ兵庫の騎手会長でもある小谷周平騎手で6人兄弟の長男(姉が1人いる)だ。新子雅司厩舎所属で兄弟子には笹田知宏騎手がいる。

勝負服は「胴水・赤縦縞、袖水・赤一本輪」。
少年時代に所属していたサッカーチームのユニフォームのカラーが赤だったこともあり、それが自身のイメージカラーに。「元々は赤黒のうろこ柄のつもりだったんですけど、新子先生に相談したら、『なんかちょっと鯉っぽいんじゃないか』と言われて(笑)。それなら縦縞を使って、あとは赤が際立つ綺麗な水色を足せばという感じで決まりました」

趣味はアニメや漫画鑑賞。ちなみに同期である大井の杉山海波騎手も大のアニメ好きでそこは意気投合しているとのこと。休日はジムで鍛えているとき以外は専らインドア派だ。

デビュー戦は同期の米玉利燕三騎手と共に4月15日(火)の第1レースとなった。哲平騎手は単勝3番人気のハーラブリーに騎乗、スタートを決め、中団からレースを進めるも7着に敗れた。

「緊張は特にしてなかったですね。もうハナを切っていこうと思っていたんですけど、周りの方が速かったんで、じっと我慢していました。まぁ初騎乗初勝利はならなかったですけど、まずは馬込みであったり、レースの流れを覚えてという感じで。レース後は、映像を見返して、新子先生と父親に解説してもらいながら改善点を教えてもらっていましたね」

仕掛けのタイミングや、馬と馬との距離、タイトに回れぬ課題が出た。ロスなく回っていれば勝てていたであろうレースもあり、悔しい思いをした。

「教養センター時代のレースと違って、先輩ジョッキーはタイトに回ってきますし、仕掛けどころであったり、本当に1つ1つの動きで勝敗が変わってくるんだと感じました」

そうした改善点について、師匠と父、2人の先生がみっちり教えてくれている。

ちなみにこのレースでは同期の米玉利燕三騎手が初騎乗初勝利を果たしたが…。

「まぁ素直によかったという気持ちでしたね。別にそれで焦る気持ちはなかったですけど、自分もすぐに勝ちたいなというのはありました」

デビュー日は、兵庫では1日の上限となる計8鞍に騎乗し、初勝利こそなかったが、2着、3着1回ずつと上位着にも持ってきていた。それでも「落ち込みましたね」と話すように、本人にとっては悔しさが残るほろ苦いデビュー初日だったようだ。

「新子先生から映像を見ながら教えてもらったんですけど、その言葉一つ一つから『お前ならもっとできるやろ』みたいな感じが伝わってきたので、その期待に添えられなかったのは残念でしたね。先生は優しいですし、もう言っていることは先生が全て正しいので、それをしっかり受け止めて、次のレースに生かしていった感じです。色々考えながら乗りすぎて、先生に『お前は考えすぎや。もっと新人らしく思い切りやっていいんだぞ』って言われて。胸のつかえが取れた感じでした」

そうした悔しい思いと師匠の助言が早速形となって表れる。

翌日の16日(水)の5レース、単勝7番人気のアルディートクライに騎乗し、デビューから12戦目で見事初勝利を決めた。

しかもこの勝利は、道中4番手からレースを進め、最後の直線で父・小谷周平騎手騎乗のミントジュレップを捕らえてのもの。記念すべき初勝利が親子ワンツーというドラマティックなものとなった。

「最後は前に父親しかいなかったんで、これは勝たなあかんなと思って必死に追うだけでした」

勝った瞬間は、喜び爆発!というよりも勝利を噛み締めている様子に見えたが…。

「やっぱり2番手に父親がいたっていうのがあったんで本当に嬉しかったですね。何か違った感情でした。(レース後に父からは)『よかったね。まぁうまく乗ってきたわ』と言われました」と笑顔で答えた。やはり親子でのワンツーは本人にとっても特別なものだったようだ。

悔しい思いをしたデビュー初日。その日に新子調教師や兄弟子の笹田知宏騎手から改善すべきことを教わり、『思い切って乗ってこい』と背中を押された。これが翌日の自信に繋がった。
実際、スタートが上手いと騎手仲間からも定評がある笹田騎手から、アルディートクライで挑むレース前に”どうしたらうまくゲートが出られるか”について具体的に教えてもらっていたことも大きかった。

「返し馬からゴールまで覚えていますね」と、やはり勝ったレースの景色は鮮明に記憶に残っているようだ。

そして、レース後は、父・周平騎手と並んで初勝利のインタビューに答えた哲平騎手。

「まずはゲートを出すことを注意して、良いポジションを取ることを意識しました」

終始手応えよく回り、”これなら弾けるだろうな”という自身の思惑通り、直線は良い末脚で父を差し切った。所属である新子厩舎の管理馬で勝てたのも嬉しかった。

父と同じ舞台に立った息子は「父を超えます!」とお立ち台で高らかに宣言。
それを隣で聞いていた周平騎手は安堵の表情を浮かべながら「ほっとしてます。あんまり喋ったら泣きそうなんでこのぐらいで。ありがとうございます!」ととても感慨深い様子だった。
哲平騎手も「今後の目標は100勝です!」とはっきりと今後のビジョンを口にして、人生初の勝利騎手インタビューを締め括った。

欲を言えば、本当は祖父母やきょうだい全員が観に来ていた初日に決めたかったとのことだが、それでもこの日は母と普段検量前でお手伝いをしているお姉さんが記念撮影に参加してくれて、嬉しい口取り写真となった。

◆小谷哲平騎手初勝利 騎手インタビュー◆

後述する米玉利燕三騎手もだが、この新人2人は減量を生かした逃げ切り勝利というより、差し込んできて勝つシーンが目立っている。そのあたりについての意識を問うと、

「新子先生からは『もっと新人らしさを出して、ゲート出たら出鞭を入れて先頭に立ってビューッと回ってこい』と言われたりする感じはあるんですけど、それでは減量が取れてから通用しないという風にも聞くので。まぁ馬によって乗り方を変えています」との返答が。
ガムシャラにというより至って冷静。師匠の言うことは受け止めながらもきちんと自分の考えを持ち、先を見据えている。なんとも頼もしいルーキーだ。

「馬を動かしながら進路取りをしたり、手綱をさばいてしっかりと馬の全能力を発揮させるというのがもっと重要になってくるんじゃないかと感じてます」と今後の課題についてもはっきりと答えた。

騎手の息子とはいえ、最初から騎手に興味があったわけではない。競馬はちょくちょく観る程度、基本的にはサッカーに夢中な少年時代を過ごした。小学生の頃まではサッカー選手を夢見ていたが、ある日、父から『乗馬やってみるか?』と言われ、実際乗ったときの迫力と楽しさを知って、騎手への興味が芽生えた。中学3年のとき、1年間乗馬に通い、ジョッキーへの思いが強くなった。

中央競馬の騎手試験も一度受験したが、そこは受からず、運命に導かれるが如く、今度は地方競馬の騎手を目指し、教養センターへ。

その教養センター時代の2年間では悔しい思いもした。乗馬を1年やってきた自信はあったが、他の同期との力量さを感じ、甘い世界ではないと気づかされた。

「馬に乗るのが怖くなってしまったときもあって…。本当に2年間しんどかったなって思ってたんですけど、競馬場実習を終えてからは成長して帰ってこられたんで、すごく自信にはなりました」

馬に乗るのが辛くなったとき、支えてくれたのは家族の存在だった。

「家族との電話もそうですね。父からは『お父さんがここまでやってんねんから、お前は大丈夫や』みたいな言葉は印象に残っています。それとやっぱり馬が好きっていうのがあったんで、どうしても逃げたくないっていう気持ちがありました」

父の言葉と馬への情熱、生来の負けず嫌いが奮い立たせてくれた。

そしてこの度晴れて騎手となり、日夜研鑽を積んでいる。同期の米玉利騎手をはじめ、一緒に戦う他の騎手たちのことはどう見ているのだろうか。

「(米玉利騎手は)頼れる同期ですね。本当にやっぱりデビュー初日にすごくへこんだところがあったんで、そういうときに支えにはなっていました。特に言葉を交わすとかはなかったですけど、存在そのものが。
あとはどの先輩ジョッキーもすごいですけど、特に吉村(智洋)さんは勝つための進路取りであったり、圧みたいなものも感じますね」と語った。

そして自身の目指すジョッキーとして、この春、期間限定騎乗で中央で大暴れしたジョアン・モレイラ騎手の名を挙げるなど、目標を語るときは”世界”を意識した発言が印象的だ。

「世界で活躍し続けているジョッキーなので、いつかそこに並ばないといけないなと思っているんで。騎手になるからには日本で立ち止まってちゃいけないなと思っています」と志は高い。

そして、最後に言及したのはやはり、父・周平騎手についてだ。

「騎手としては何年もやってきた大ベテランですし、レースを見ただけで自分の悪いところであったりを教えてくれるので本当に助かっていますね。ありがたいという気持ちしかないですよ。父のおかげで、稻田厩舎や溝橋厩舎にお世話になっているところもあるので本当に感謝しかないです」

新人ながらいきなり1日8鞍も騎乗できるのは、父の人望があってこそだろう。この世界に入ってからその偉大さに改めて気づかされたと哲平騎手は話す。

「ここまで自分を育ててくれたことに感謝しています。父がジョッキーじゃなかったらこの道を進んでなかったと思いますし…本当に…父親が周平さんでよかったなって思っています」

と、最後は噛み締めるように言葉を紡いだ。

この取材の後、デビュー2週目の24日(木)に第1レースと第4レースで勝利を挙げ、自身初のマルチ勝利を記録した哲平騎手。
4レース後、「嬉しいですね。落ち着いて乗れるようになってきたのが大きいです」と話す、その凜とした表情からはほんのわずかの期間での成長が伺えた。

そしてその哲平騎手を「彼は天才だから。努力の天才。これから伸びるよ」と評した新子師。

名伯楽も認める、その可能性に大いに期待したい。

米玉利 燕三(よねたまり えんぞう)騎手

2008年2月18日生まれ、兵庫県出身の17歳。森澤友貴厩舎所属。

勝負服は「胴黒、袖白」。長年の園田ファンなら見覚えがあるであろう、このデザインは、かつて小牧太騎手や岩田康誠騎手らとしのぎを削るなど兵庫で活躍しのちに中央に移籍した赤木高太郎元騎手と同じものだ。

「元々父と高太郎さんはつながりがあったんです。高太郎さんは茨城県にある育成牧場で場長をされているんですけど、中学3年生の頃にそこに行かせてもらったのが出会いのきっかけです。実習中の時に連絡して、同じ柄の勝負服を使っていいか許可をもらいました。
デザインもいろいろ考えたんですけど、ぱっとしたものがなかったし、元々シンプルな柄が好きだったので、高太郎さんの勝負服を見たらもうこれしかないなって感じでした。この勝負服に恥じない成績を残せるよう頑張りたいです」

この勝負服の復活は、赤木さんご本人はもちろん、古くからの競馬ファンも嬉しいことだろう。

騎手として初陣は小谷哲平騎手と同じく4月15日(火)の第1レース、単勝2番人気のキングレノンに騎乗していきなり勝利を決めた。

兵庫の生え抜き騎手としては、実に2010年の杉浦健太騎手以来、15年ぶり10人目の初騎乗初勝利。(ちなみに生え抜きを除けば、直近では井上幹太騎手が門別在籍時の2013年に達成)

「調教師の先生から、調教で乗ってみないかと声をかけてもらった馬で。それで調教に乗るならレースも乗せてくれるという感じだったので、それならぜひ乗せてくださいと言って乗せてもらいました。レースでは自分はもうしがみついているだけだったんで、外々回って直線はもうぐちゃぐちゃに追ってたんですけど、厩務員さんの調整と馬の頑張りで勝てたと思いますね」と、新人とは思えぬ謙虚さでレースを振り返った。

スタートを決め、他馬に前を締められると、「これ以上突っ込むと落馬するな」とすぐさま控える競馬にシフト。判断が早かった。

とても冷静な振る舞いに見えたのだが、当の本人は、「表にはあんまり出ないですけど、内心はすごく焦ってましたね。初騎乗の緊張感はありましたし、レース内容は覚えているんですけど、ゲートを出るまではずっと心臓がバクバクでした(苦笑)」とそのときの心情を吐露した。

レースを振り返ると、キングレノンは道中5番手から向正面あたりで早めに進出。
2番手を走るもう1頭の人気馬テクノハッピー、そして先頭を行くディノポネラを捕らえて最後は5馬身差をつける快勝だった。

「気持ちよかったですね。もうこれは勝てると3コーナーぐらいで分かっていたので。
この勢いならいけると思って直線に入ったら、(テクノハッピー騎乗の小牧)太さんが、僕が並んで抜いた瞬間に後ろから『行けー!』と言ってくれたんで、あとはがむしゃらに追うだけでした」

ゴールの瞬間はガッツポーズも飛び出した。「頭が真っ白になることもなくしっかり覚えていますね。気持ちよかったです」

父である晴久さん(保利良平厩舎の厩務員)からは「おめでとう」と一言。
師匠である森澤友貴調教師からは「こんなこと一生に一度しかないことやからよう頑張ったと思う」と、労いと祝福の言葉を受けた。

◆米玉利燕三騎手初勝利 騎手インタビュー◆

そんな森澤厩舎は自身がイメージしていた通りの本当にいい厩舎だと話す。

「僕がデビューを迎えるにあたって馬を調整して、いい馬を乗せてくれて。チャンスを与えてくれているので、今はまだ勝ててないですけど、ちゃんと勝って貢献できるようにしたいですね」と感謝しきりだ。

「先生はほんまに見ての通りの優しい人です。相手を批判することなく、意見をちゃんと受け入れて、相手の意見を踏まえた上で自分の意見を言ってくれるような感じなので話がしやすいです」

森澤厩舎といえば、兵庫のトップステーブルの1つ。昨年は開業20年目にして悲願のリーディングを獲得した。米玉利騎手は名門の所属というプレッシャーなどはないのだろうか。

「どちらかというと、いい厩舎に入っていることで逆に自信になりましたね。森澤先生もプラス思考でそういうことはむしろ自信にしてってタイプなので。僕もそういう性格なのでプレッシャーを感じるのはあまりないですね」

そんな米玉利騎手は、デビュー2日目の第3レースで早速2勝目を挙げた。騎乗したのは人気薄、単勝7番人気33.5倍のサウンドヒーロー、しかも最後の直線で前2頭の間を割るという味な競馬での勝利だった。

「ずっと2頭の間を見ていたので。直線に入ってちょうど開いたのでもうそこを突くだけやなと思っていました」

普通なら外に出したくなるような状況でも、我慢をしてロスの少ない騎乗をした米玉利騎手。2着との差がアタマ差だっただけに外に回していたら届かなかったかもしれない。

「人が馬の上で焦ってもいいことないし、できるだけ距離ロスなく、かつ砂の浅いところを通りたかったので」と冷静に回顧する。とても落ち着いているように見えるが、昔からそうだったわけではなさそうだ。

「元々僕はメンタルがあんまり強い方ではなくて、押し負けるタイプだったので。結構自分もいろいろ教養センターでは精神的に苦労する部分があったというか、学校時代も実習中も精神的に鍛えられる部分があったので。同期の中で誰が上手い?ってなるじゃないですか。そういうプレッシャーもありましたし、それが今につながっているのかなって思います」

同期の小谷哲平騎手はライバルとして意識というより、”同じ場で一緒に切磋琢磨して頑張っていきたい存在”とのこと。他地区では船橋の椿聡太騎手、佐賀の長谷川蓮騎手と特に仲がいいそうで、長谷川騎手の初勝利時には「おめでとう」と祝福のLINEを送った。

「僕は教養センター時代の競走実習で一度も勝ったことがなかったので、もう最後の2回も最下位、最下位だったので。そこでいいイメージが持てずに卒業したので、初戦で勝てたのはすごく自信になりましたね」

初日こそ、模擬レースと実戦との感覚の違いを感じ、焦りから勝利を逃したレースもあったが、騎乗を重ねることで収穫もあった。初日では鐙の長さもいろいろな長さで試し、2日目である程度馴染む長さを掴んだ。それが今、落ち着いた騎乗につながっているという。

「初日はもう馬上でグラグラでしたし、3日目の今日はマシになってきたので。鞍はまりも良くしていって、レースで使う筋肉も分かってきたので、そこを重点的に鍛えていきたいなというのは思ってます」と、自己分析も完璧だ。

「教養センターのときも、椿君と長谷川君が上手かったのでずっとその2人を見て、見よう見まねでやっていました。僕は聞いて覚えるより見て覚えるタイプなので」

そしてここからは自身のルーツの話に。まず気になるのは”米玉利”という珍しい名字、鹿児島県に多いそうで(多いといっても全国に200人ほどと言われる)実際に祖父の故・辰夫さんが鹿児島出身だったとのこと。

そしてもう一つ気になるのは”燕三”という名前。一見、和のテイストに思えるが、話を聞くと、母の好きな映画「グラン・ブルー」(1988年公開:実在する天才ダイバーをモデルにしたフランスとイタリアの合作映画)の登場人物、ジャン・レノが演じる”エンゾ・モリナーリ”が由来とのこと。

「母がジャン・レノが好きで、その役柄の”エンゾ”に響きが似ているので”えんぞう”にしようと。どんな漢字がいいか、母が伯母さんに相談して決まったみたいです(笑)。僕は気に入ってますね」

日本由来の名前かと思いきや、まさかの欧州由来とは驚きだ。

「同期のみんなからも『落語家や!』とか言われます(笑)」

そんな米玉利騎手は前述しているように、祖父である辰夫さんから続く競馬一家の血筋に生まれた。

「おじいちゃんは元々、春木競馬場(かつて大阪府岸和田市に存在した競馬場)で騎手をしていて、そこでリーディングを獲ったというのは父から聞きました。上手だったと聞いていますし、まだ生きていたらアドバイスをもらいたかったなと思いますね」

祖父・辰夫さんはその後、兵庫で調教師に転身。そして父の晴久さんはずっと兵庫で厩務員をしていて、曾和直榮厩舎や橋本忠男厩舎、吉行龍穂厩舎などを渡り、今は保利良平厩舎に所属する。

父の晴久さんは元プロレスラーの武藤敬司さんにそっくりだというのがこの界隈では有名だが…。

「幼稚園のとき、LINEのアイコンが武藤敬司さんやって、それをずっとお父さんと思ってました。似てるとかじゃないんですよ、一緒でしょ。僕ら家族でも見分けがつかないくらい(笑)」

ちなみに米玉利騎手は三兄弟の末っ子。長男は一般企業に就職し、次男の米玉利大悟さんはなんと半年ほど前にデビューしたばかりのボートレーサーだ。

馬の世界と水上の世界でフィールドは違えど同じ公営競技、若き米玉利兄弟から目が離せない。

兄は父とは別の世界を選んだが、米玉利騎手は同じ世界を選んだ。中学1年の頃から父の担当馬の活躍を見るようになり、「ジョッキーはかっこいいな」と憧れるようになったという。中学3年のときに乗馬を10ヶ月経験したのちに教養センターへ。
しかし、そんな夢に突き進む息子に対して、この世界の厳しさを知っている父の胸の内は複雑だったようだ。

「(結果的に)同じ世界に来てくれたのは嬉しいとは思っているんでしょうけど、やっぱり厳しさも知っているので、最初に騎手を目指すと言ったときは反対していたようです。僕の前では賛成しているように見せてましたけど、僕のいないところではよく思ってなかったみたいですね。もう今はもうここまで来ているので素直に喜んでいるとは思いますね」と微笑んだ。

ちなみにプライベートでは何をしているのか、米玉利騎手にも聞いてみた。

「基本的に家でダラダラしたくなくて、ずっと動いていたいので両親と買い物に出かけたりですかね。無添加の食品に興味があって、自分もアスリートとしてやっていくから、食生活は見直していこうと。あとは森澤先生とロードバイクで山登りとか。ただあれマジできついんですよ(苦笑)。でも楽しいからやっちゃうんですよね」

若くしてすでにストイックな姿勢、話を聞けば聞くほど面白い。

直近の目標としては、所属である森澤友貴厩舎の馬と、父・晴久さんの担当馬で勝つことだ。

「自厩舎の馬に乗ると意識して力んでしまうところがあったので、これからは自然体で臨もうと思っています。そして父の馬でもめちゃくちゃ勝ちたいです。この前のカルラファクターで挑んだレース(15日(火)の第11レースで結果は5着)も悔しかったですしね」

そんな父から口酸っぱく言われているのが「調子には乗るなよ」という言葉だ。

「教養センターに入る前からずっと言われてきたので。乗せてもらっているんやから、そこだけは気をつけて、目標とする(廣瀬)航さんみたいに謙虚な気持ちを持って人と馬には接していきたいなと思っています」

そしてその先の目標については、

「成績ももちろん残していきたいし、なるからにはトップを目指したいという気持ちがあるけど、その中でもどれだけ勝っても謙虚な気持ちを忘れずに、感謝の気持ちを持って常に向上心を持っておきたいですね」と、やはり謙虚という言葉が何度も出てきた。

この取材の後、米玉利騎手はまたもや大きな仕事をやってのける。
4月30日(水)の第11レース「兵庫県産たまご特別」でバクレツマホウに騎乗し、見事差し切りV。デビュー3週目、通算3勝目が初めてのメインレース勝利となった。

初のメインのお立ち台、勝利騎手インタビューでは「ありがとうございます!嬉しいですね」と爽やかな笑顔で喜んだ。

「馬は大人しいと聞いていたので、まずは人間がイレこまんようにしました(笑)。馬にしがみついてコーナー回っているだけでしたね。メインで決められたのは嬉しいんですけど、それよりも小さいときからお世話になっていた橋本(忠明)先生の馬で決められたのでそこが一番嬉しいです」

その後、後ろで見守っていた橋本調教師に向けて「イェイ!」と言い放ったところが印象的で、2人の関係性が表れていたように思う。ちなみにこのとき「泣きそう」と呟いていたのがその橋本師。父・晴久さんと橋本師は、以前、橋本忠男厩舎で共に在籍していた仲。
加えて橋本師の2人の息子さんは、兄・大悟さんと米玉利騎手、それぞれの同級生ということもあって橋本師にとっても感慨深い勝利になったことだろう。

「(レースの賞品がたまごかけご飯セットであることを受けて)僕、たまごかけご飯大好きなんで嬉しいです!」と初々しく答えたシーンも含めて皆さんの記憶に残ることと思う。

◆米玉利燕三騎手メイン初勝利 騎手インタビュー◆

小谷哲平騎手、米玉利燕三騎手共にデビューからここまでハイレベルな活躍を見せている。兵庫県競馬にゆかりのある2人がこれからどんな騎手になっていくのか。温かい目で見守りつつ、どうぞご注目を!

文:木村寿伸   
写真:斎藤寿一   

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