帰ってきた兵庫のレジェンド!古巣復帰を語り合う
~小牧太騎手・松本幸祐騎手・北防敦記者~
「地方競馬の免許をもう一度取って、園田にね、所属しようかなと。もう決めました」。4月11日の園田競馬場で開かれた衝撃の記者会見から約4ヶ月。
1992年から1999年までの8年連続、2001年、2003年を合わせて計10度のリーディングに輝いた兵庫のレジェンドが、約20年の時を経て古巣に帰ってきた。
地方から中央に移籍し、再び地方に戻るという前代未聞の挑戦を始めた56歳。
これから歩む、その”騎手人生の第3章”について、専門紙・競馬キンキ所属の時代から、その勇姿を見守り続ける北防敦(きたのぼう・あつし)氏(現:競馬ブック 園田班チーフトラックマン)と曾和直榮厩舎所属時代の弟弟子、松本幸祐(まつもと・こうすけ)騎手という旧知の仲の2人を交えて、ざっくばらんに語り合ってもらった。
20年ぶり古巣復帰までの経緯
──小牧太騎手の兵庫復帰に関しまして、このお三方での座談会形式で取材を進めていきますが、この雰囲気はいかがですか?
小牧 まぁ、和気あいあいと、ここにビールがあったら最高やね(一同:笑)。
──小牧さんと北防さんは何年ぐらいのお付き合いになるんですか?
北防 もう40年近いよな。
──それだけ長いとどういう存在になってくるんですか?
小牧 北防さんは北防さん、これから先もずっと(笑)。
──今の関係性として、北防さんは騎乗馬の調整などをされているんですか?
小牧 そうですね。僕、何も分からないからね。もう全部任せっきりや。もう北防さんにかかってんねん。
北防 な、言うてるやろ。サポートすることはもう決めてたから。太くんが帰ってきたら、もう全面的にそれはちゃんとするって。
小牧 去年やったかな、京都競馬場でね。息子(JRAの小牧加矢太騎手)の障害レースを2人で一緒に見ながら喋ってて、「太くん、兵庫に帰ってきたらいいのに」って言われて。「いや、俺は園田には帰らんで」って言ってたのがね…。
北防 そのときは何回言っても拒否してたからな。
小牧 コロッと変わったね(笑)。もう今年に入ってですよ。そう決めてからは騎手免許試験も近かったから、本当にトントン拍子でしたよ。
だからだいぶ前から考えてたんちゃうかとか言われるんやけど、そんなことないですよね。
──兵庫復帰へ気持ちが動いたきっかけは?
小牧 たまたま、師匠(曾和直榮元調教師)の家族と食事しているときに、師匠の息子さんが「僕、20頭ぐらい馬持ってるねん。交流レースでこっちに乗りにくることがあったら、僕の馬に乗ってよ」っていう話をしてて。
ただ最近は交流レースもなかなか乗りに来てなくて、「もし機会があったら、乗るよ、なんぼでも」って冗談っぽく言ってたら、次の日に交流レースの騎乗依頼の電話がかかってきた。すぐ曾和くんにも電話で「交流レースが入ったから乗れるよ」って伝えて。
で、1頭、2頭乗るならこの際、ちょっと他も乗ってみようかなと思って、北防さんに連絡入れてみたら、今度は田中守(高知の田中守調教師)の馬が入ってという感じでたまたま偶然が重なったんですよ。
──それが3月28日、リケアサブルで勝ったネクストスター西日本の日ってことですよね。
小牧 そのときに6鞍乗って、嬉しかったしね。久しぶりに重賞勝って。他のレースも勝ったら気持ち良かったし、これもいいなとか考えだして。そのあと、家に帰ったら「交流レースに乗ってくれへんか」ってまたすぐ別の日の騎乗依頼の連絡が来て。
そしたら今度は試しに、8鞍(兵庫における1日の騎乗回数の上限)全レースに乗ってみようかなって。北防さんに連絡を入れて、乗ることになって、それで決めました。こういう選択もありかなって。
──なるほど、それが4月11日のことですね。古巣に帰ると聞いて北防さんはどう思ったんですか?
北防 そら最高や。ずっと帰ってきてくれって言ってたし、(松本)幸祐かってそうやん。
松本 僕は元曾和厩舎の厩務員さんらと「太さん帰ってきたらいいのにね。腕も変わらへんのに」ってずっと言ってたから。
小牧 (中央では)乗りたくてもなかなか乗せてくれへんから、どうしようかなって考えていたときだった。もう何しようかなと。一昨年、去年あたりはテレビ、マスコミ関係の仕事でもしようかなと思って(テレビ局に)電話したりとかね。いや、マジで雇ってくれへんかなと(笑)。
競馬番組の解説とかですね、そういうのを考えました。もうこのまま続けても無理やなと思ってましたけど、いい選択をしました。
8月14日の兵庫復帰初戦を迎えて
──8月1日に再び兵庫所属になり、そして14日の第2レースでエイシンジェットに騎乗し復帰初戦を勝利しました。復帰週を終えての感想は?
小牧 1番人気でしたし、とりあえず勝たなあかんなと。自分の横断幕とかも出てて、盛り上がりすぎやなって思って(苦笑)。
(中央最後の騎乗となった)小倉の最終レースを勝ったっていうのがね、尾を引いてる(笑)。あのレースがあったから盛り上がりが違っていた。
──中央の最後と復帰後最初のレースを勝つんですからすごいですね。ご自身でも自分はもってるなと感じますか?
小牧 もってるとかは周りが言うことであって、自分では思わないですけど、まぁこれまでしんどい思いをしてきた分かなって。僕自身は「勝つ馬に乗ったら勝つんです」とはっきり言いましたしね。だからこそ、こっちの復帰も決めたんであって。
──復帰初戦の様子をもう少し掘り下げたいと思います。本馬場入場のとき、まず「兵庫の小牧太」と名前がコールされたときの大きな歓声は聞こえていましたか?
小牧 聞こえましたよ。ただそれより、とにかく馬を落ち着かせてという意識で。ゲートがちょっとね、ガサガサして一瞬、「おやっ」と思ったけど、うまく出てくれてね。
──スタートを決めると、道中は2番手につけて、最後の直線で逃げ馬を競り落としました。
小牧 馬は力があったけど、ふわふわしてましたね。(遊んだ分)差し返されそうになったんですけど、我慢してくれました。
北防 あれでも本当は、初戦の馬じゃなかったんよ。レースの順番が変わったから。予定ではハシルショウグンが1頭目だったから(そのあと第4レースで騎乗して3着)。
松本 もってるんですよ。僕、あのとき最後方を走ってて。自分が言うのも申し訳ないんですけど、自分の馬は早々に手応えがなくなってたんで「太さん、勝っとんのかな。接戦してるけど、大丈夫かな」と思ってましたもん(笑)。でも結果は勝っていて、やっぱ太さんすげぇなと。本命印が付いている馬でも簡単には勝てないですもん。
──2着になった渡瀬和幸騎手からも”簡単には勝たせないぞ”という気迫が見えましたもんね。
小牧 いや、それは調教のときに(渡瀬騎手から)言われたんですわ。
「僕の(馬)強いですよ」って。そう言ってくれたおかげで、僕は早めに動いたんですよ。いつもやったら、(渡瀬騎手の馬は)人気なかったし、こっちは(道中で)もうちょっとじっとしているのに、2コーナーから早めに動いたでしょ。
松本 確かに人気なかったですもんね、渡瀬さんの。
小牧 向こうが「勝つ」って言うからや!あんなん黙っとったら逃げ切られてたよ!(一同:爆笑)。
──渡瀬さんの正直さというか、人柄が裏目に(笑)。
小牧 よっぽど自信あったらしいよ。あの言葉を真剣に捉えて、早めに動いて良かった。
──そんな裏話も面白いですが、復帰後初の勝利インタビューはいかがでしたか?記念撮影には息子の加矢太騎手やバレットをされている娘のひかりさんの姿もありましたが。
小牧 まぁ(2人が)来ているのは知ってたし。本当は園田のジョッキーみんなと撮りたかったのになと思って。まぁようけ人が来てたからなぁ。
──北防さんも記念撮影に入ってましたけど。
北防 幸祐も入ったからな。
松本 そのあと来ました。
北防 嬉しくて嬉しくてしょうがなかったね。ほっとしたのもあるけど。
小牧 嬉しいというより、ほっとするね。
──勝ったエイシンジェットは渡瀬騎手の弟の渡瀬寛彰調教師の馬で、2着の馬が”フッカツラヴ”という名前だったのも何か不思議な巡り合わせでしたね。
そして、「小牧騎手の復帰後初のインタビューなら」と、園田のレジェンド実況者吉田勝彦氏がこの日限りのインタビュアー復帰、マイクを向けました。1992年、”園田の帝王”こと田中道夫騎手から15年連続のリーディング獲得を阻んだ話が出ましたが?
小牧 うん、まぁいつもの話やなと。100回ぐらい聞きました(笑)。(昔あった)騎手紹介でも何回聞いたか、これ書いといて(笑)。
──そんな懐かしさというか、いつもの園田を味わいつつ、そのインタビューでは「これまでの鬱憤を晴らしたい」という言葉が印象的でした。
小牧 いや、やっぱりずっとくすぶってたからね。まだまだ乗れるのにと思いながら。ギラギラして頑張ろうと思ってます。
──あのときは元JRA調教師の小檜山さんも来られてたんですか?
小牧 来てたね。来んでええのに。あっついのに(笑)。もうマスコミの人やら、色々な人が来てて。喋んのが大変やった。(一同:笑)。
──多くの中央関係者が気にかけていたんですね。特に印象的だったやりとりはありますか?
小牧 横山典(JRAの横山典弘騎手)から「酒飲んでるか?酒飲むなよ」って言われたね。初めて来たわ、LINEが。(一同:驚き)
──実際お酒は控えてらっしゃいますもんね?
小牧 控えてたからね。競馬中は飲まないように。もう慣れましたわ。へっちゃらです。そのかわり、中休みに飲みだした。ビールがうまいね(笑)。
小牧騎手の優れたところ
──復帰3日目の第9レース、アーティスティックでの逃げ切り勝利は、永島太郎厩舎200勝のメモリアルでもあったんですけど、永島さんに聞くと、「トモが緩い馬だから道中は後ろからじっくり行く予定だったけど、ペースを見て逃げの手に出たのは小牧さんの判断です。改めてさすがの感性だなと思いました」と感心しきりでしたよ。
小牧 そう思ってたみたいやけど、予想紙を見たらもう行くのいないしね。(これまでの走りを見て)これ多分馬も勝手に行くなと思ってたんですよ。そうしたらスタート後に逃げた馬があまりにも早めにためるもんやからね。馬がぐっとハミを噛んだから行く形になった。ペースはよく考えながら乗っていますね。
北防 いや、でもあの勝ち方はすごいで、やっぱり。ちょっとペースが落ちたときにスーッと動いていって。太くんが帰ってきたらあんなレースがいっぱい増える。そしたらやっぱり馬も強くなるしええことや。
攻め馬からして違うもん。もう決まっとる。攻め馬から、全然違う。
松本 僕はもう個人的にですけど、かっこわるい太さんは見たくないんで、ほんまに。ずっとリーディングジョッキーだったイメージしかないんで。
小牧 ちゃらけられへん…(苦笑)。
松本 落ちぶれてほしくないですもんね、絶対に。ずっとテッペンにいたときの太さんでいてほしい。攻め馬のときも若々しいですもんね。本当に変わらず、キレイに乗ってはるから。
──私なんかは前回兵庫在籍時の小牧さんの活躍はもう伝説的にしか聞いてないんですけど、やっぱり近くで見ていた立場としては、とんでもなかったですか?
松本 とんでもなかったです。僕は小牧、岩田(現JRAの岩田康誠騎手)時代に入ってるんですけど。
僕は、ロードバクシン(2001年の兵庫三冠馬)に関しては太さんが乗ったときが1番走ったと思います。いろんな人が乗って、重賞も獲ってるんですけど、太さんがなんかしっくりきましたもんね。
今になってやっと分かりますもん、太さんの巧さが。当時はほんまに分からず、ただ勝ってるなっていう印象で。岩田さんか太さんしか勝たない競馬場だとしか思ってなかったんですけど…。それは勝つわなと思いますもんね。今となっては。
──改めてどのあたりに凄さを感じますか?
松本 取り組み方もですけどね。馬が道中でいかに脚を残しとったら直線伸びるかを僕もすごく勉強したんですよ。ずっと攻め馬なんかやりながら。
太さんの馬は、直線で絶対脚がありますもん。走らない馬は仕方ないですけど、やっぱり脚を残してしっかり伸びてきますもんね。追えるし、道中も折り合うし、なんか全然ちゃいますね。やっぱり上手な人は、全部そういうのをひっくるめて上手です。
小牧 でも(幸祐も)もう長いことやってるよね。20年やってるんやから諦めずに。偉いと思うよ。攻め馬もようけやってますやん。気持ちが折れるはずやけどね。でも一つのことをこんだけやってたら何かいいことありますよ。強い馬に乗ったら勝つから。
ストイックな体づくりとプライベート
──これまでのマスコミ対応の中で、60歳までは乗りたいということを仰っていますが?
小牧 体力が落ちて自分が若い頃のようにできなくなったら、あっさり辞める。
もう充分でしょ。もう最後のおまけやと思って、今はね。
──松本さんも先ほどおっしゃってましたけど、かっこいいまま終わりたいと。
小牧 それはあるよ。そのために常に動いてます。体を鍛えるのもメンテナンスも。いいものは常に取り入れようとしてるし、食べ物とかもね。やっぱ気を使わないとあかんしね。
北防 こっち来てすぐ、梅田に鍛えに行ってるねん。
──梅田に何があるんですか?
小牧 体幹を鍛えるためにトランポリンやヨガをしに。
北防 兵庫に来てすぐ行ったからね。「太くん、飲もうや!」ってこっちが言ってるのに、先にそれ行ったからな。
──北防さんはなんだか寂しそうですね(笑)。
小牧 やっぱりやれることはやっとかなあかんなと思って。やっぱり体幹やね。他にトランポリン取り入れている人はいないんちゃう。知らんけど。
──それで体幹はだいぶ変わりましたか?
小牧 いや、最近よ。まだ3回目(笑)。
──効果はまだこれからですね。では食べ物への意識は?
小牧 太るんで炭水化物はできるだけ食べないようにしています。お酒もあまり飲まないし。(ベースの体重は)ちょっと痩せた。減量しなくてよくなった。汗取りね。普段の体重が56キロ台だったのが、3キロ減って今は53キロ台。
おかげで楽になった。こんだけ仕事して、また汗取りせなあかんてなったらそれでくたびれる。
今はもう体のために汗取りしてる、食べるために。ゆで卵とかよう食べるしね。昨日も嫁さんに10個作ってもらった。それを朝に食べる。今日も3個ぐらい食べた。プロテインを飲みながら。
北防 こんな56歳なかなかおらんで。銭湯一緒に行っても体が違う。
──さらにプライベートなところも伺いたいのですが、今単身赴任でしたっけ?
小牧 はい、今は園田の独身寮に住んでいます。プライベートでいうと、あとはさっき話してた風呂かな。
北防 まず朝の調教終わったら風呂やもんな。
小牧 車で銭湯に行ってる。あそこいいわ〜。朝6時からやってる。
──お気に入りのところがあるんですね?
小牧 ちょうど攻め馬終わってからすぐ行けるから。あと、映画も2本観ましたね、梅田で。「九十歳。何がめでたい」(草笛光子さん主演)ってのが面白かった。
松本 ああ、おばあちゃんの?唐沢寿明さんの?
小牧 そうそう、むっちゃ面白かった。映画鑑賞が趣味なんでね。大概観てますよ。邦画洋画問わず。中央時代もしょっちゅう行ってました、あのときはビール飲みながら。電車移動だったんで。
──なるほど。ちなみに体を鍛える話に戻りますが、ジムは行ってらっしゃるんですか?
小牧 ジムは行ってないです。筋トレは調教やなぁ。調教は大好きやな。楽しいわ。中央でも乗ってましたけど、こっちとは全然違うんで。
今はレースで自分が乗る馬を調教するんで。レースに直結するように色々考えながら乗れるからね。調教は午前3時半から、10頭ぐらい乗ってる。それがトレーニングやね。
松本 20年前もそうです。曾和厩舎にいたときも、それぐらいから調教始めて朝7時ぐらいで終わって、そのあと曾和先生の話を聞いて帰ってはる感じ。
──師匠の曾和元調教師はどんな存在ですか?
小牧 教えてもらったね。そのおかげで調教とか色々自分の考えでできるね。いまだに電話で喋ったら注意される。こないだも怒られた(笑)。
──いまだに注意されることなんてあるんですか?
小牧 いや、何でも。怒ってくれる人がいるからいいですよね。こっちが分かってることを怒ってるんやけど、(向こうからしたら)注意しとかなあかんなと。
復帰については喜んでくれているけど、心配だろうね、今も多分。親心というか、自分が15歳のときから一緒やからね。
20年ぶりの園田は
──JRAに移籍後の20年、外から見ていた園田のイメージと戻ってきての感覚の違いは?
小牧 いや、あんまり考えてなかったけど、20年経って戻ってきたときに、タイムスリップしたみたいな。もう同じ人がそんなに老けてもなく、(両サイドの北防氏、松本騎手を見ながら)こういう風にいるから(笑)。
あんまり変わらず、厩務員さんでも何でも、だから違和感がないの。20年も経ってるのに。みんなが「ふとし!ふとし!」と言ってきてくれて。それってすごいことやと思う。居心地がいいからね。
──でも、それは騎手人生第1章の19年間でご自身で作ってこられた環境ですもんね。
北防 そうそう。やっぱりみんなそうして集まってきとったから、すごいよ。
──そんな中、小牧さんの兵庫時代を知らない世代もたくさんいます。
先ほど、復帰初勝利の記念写真は「園田の騎手らと撮りたかった」とおっしゃいましたけども、新たな関係の構築という面ではいかがですか?
小牧 初っ端やし仲良くね。色々教えてあげたりしたいなと思うんやけど、やっぱりライバルやと思ってみんなおるからね。まぁそれはそうなんやけど、敵やからね。
──今のところ、そういった後輩らとのコミュニケーションはいかがですか?
小牧 いや普通に、僕自身がそんなに敵意をむき出しにするタイプじゃないから、和気あいあいとやってますよ。
──この間は、京セラドームで行われた兵庫の騎手ら総出の草野球も参加されてましたもんね。
松本 写真がもう物語ってますよね。和気あいあいで(笑)。
小牧 北防さんが行こうって言うから。
北防 そら行かんことにはな。(杉浦)健太とか(小谷)周平とかから「絶対連れてきてくださいよ」って言われたから。行ってよかったよ。
松本 太さんもめっちゃ頑張ってましたもんね。
小牧 いや、やるときはやるねん(一同:爆笑)。
肩が次の日痛かったわ。だって30、40年ぶりやで球投げたん。すぐ治ったからいいけどね。
──後輩の騎手らで気になるのは?
小牧 (松本)幸祐ばっかり見てるわ(笑)。こうしたらいいとか、今日でも一腰早いなと思ったり。馬って息を入れないといけない。800m戦でも。
松本 川原さんにも同じこと言われたんですよ。めちゃくちゃ勝ってる人らにアドバイスをもらってて。
──そういったアドバイスをくれるんですから愛を感じますよね。
松本 めちゃくちゃありがたいですよ。
──久々に園田に帰ってきても違和感はなかったとのことでしたが、スタンドや砂は当時とは変わったと思います。
小牧 砂も変わってドロドロにならなくなったし、いいですね。
仲間と目指す夢
──記者会見やインタビューの中では高知競馬などを引き合いに出されて「もっと園田を盛り上げられたら」とおっしゃってるのが印象的でしたが、やはりそれも目標ですか?
小牧 うん。だからこそ、何も嫌がらずにこういう取材や媒体訪問にも行って頑張ろうと思って。
北防 広告塔になってるもんな。
小牧 売り上げが上がったら、よくなるしね。
北防 こないだのお盆開催も太くん効果がだいぶあるね。
松本 間違いないですね。
小牧 金一封くれんかな(一同:爆笑)。
──売り上げとともに競馬場が盛り上がって、そして強い馬が出てこないとですね。
小牧 そうですね。今日も新子くん(新子雅司調教師)と、「強い馬を一緒に作ろうや」って喋ったところでした。昔からの仲間、後輩やからね。
──園田の限られた調教施設で馬を育て、中央に挑んでいる厩舎ですけど、改めてどう見ていますか?
小牧 いや、すごいよね。Jpn1勝つなんて考えられへんことですやん。途中からサラブレッドが入った時期に僕らはいたけどね。すごいことだと思いますよ。
──小牧さんも今後の目標、将来の夢の中で、中央の舞台に兵庫の馬で挑みたいってよく話されていますよね?
小牧 だから今日の朝も新子くんと2人で併せ馬しながらね。メイセイオペラ(1999年のフェブラリーステークス(JRA)優勝馬)のことを話しててね。
2人ともずっとその名前が出てこなかったんやけど、「あれなんやったっけ?」とか言いながら。やっと思い出して「メイセイオペラや!」て2人で喜んでたけど(笑)。でも、そういうすごい馬が盛岡から出るんやからね。
だから一緒にね、もう俺もあと3、4年しか乗れんねんから、はよそういう馬を作ってくれって。
──良い関係ですね。
北防 それはやっぱりジョッキーのときに面倒見とるから。みんな、そのときの恩を忘れんとやってくれてる。
──今いらっしゃる調教師の方々は年下が多いですよね?
小牧 うん。やりやすいけども偉そうにせんようにはしてる。上から目線では絶対ないように。
僕はそう思ってやってるんですけど、曾和先生からも電話で「上から目線で物を言うなよ」と(釘を刺される)。まぁ僕はそういうタイプじゃないから。
──師匠としてはいつまでも気になるということですね。
JRAで過ごした20年
──今、兵庫でリーディングを獲っていた時代を思い出すことはあるんですか?
小牧 いや、それはないですよ。もう目の前の1戦1戦が大事ですから。返し馬から慎重にね。「舐めとったらあかん」と思いながら真剣に乗ってます。
JRAでは力のない馬に乗ることも多くて、それが長くなっていたからね。今は力のある馬に乗せてもらってるなと思うからこそ、慎重にね。
──後半は悔しい思いの方が大きかったと思いますが、その中央での経験が活きている部分はありますか?
小牧 プレッシャーは大きかったね。園田のときも大きかったけどね。外野の声とかは気にならず、曾和先生に怒られたらあかんなということだけ(笑)。
勝って当たり前っていうプレッシャーが大きかったね。
──では、中央に行ってから周りのプレッシャーを感じるようになったんですか?
小牧 中央はいろんな人がいたんで。色々勉強になりましたね。
──中央では、2008年の桜花賞(レジネッタ)、2009年の朝日杯フューチュリティステークス(ローズキングダム)と2つのG1を勝ちましたが、その経験は大きいですか?
小牧 まぁ勝たんよりはいいんでしょうけど(笑)。
4年目でG1(2008年の桜花賞)を勝ったんですけどね。それまでにもっと早く勝てると思ってたから。それも最初のうちは結構良い馬に乗ってて勝てなかったからね。移籍してから1、2年は良い馬に乗ってて、3、4年ぐらいしてから、G1ではちょっと足りない馬になりだしてね。
「もうこれはG1は勝てんな」と思ってたときやったね。そこでレジネッタとあたってね。なんせ難しい馬で、桜花賞のときも立ち上がったからね。立ち上がったおかげでゲートが決まった。合わしてくれたから、立って降りたところでゲートが開いた。だからね、走る馬は本当に微妙やもんね。ゲートの出し方とかそういうのが全然違う。引っかかる馬とかも勉強になった。
地方は常にばっと出して…。ま、ここでも分けてるけどね、僕も。これぐらい出していったらいいかとかね。そういうのがすごい勉強になっている。
──そうですか。馬によっては本当に繊細なんですね?
小牧 芝の走る馬とか牝馬は特にすごく繊細です。そのへんは園田では経験できないところだったね。
──今は芝とダートで舞台は違えど、またそれが活きる場面もありますよね?
小牧 そうだね。また活きる場面はあると思うよ。
──話は変わりますが、以前兵庫で乗った中で1番強かったのはニホンカイユーノス(1998年の園田金盃など兵庫重賞多数勝利)とおっしゃってましたよね。アラブの中では。
小牧 何も考えなくても勝つ馬。(当時島根県にあった益田競馬場から兵庫に移籍した)最初の頃は2、3番手で競馬してたんやで、普通に。そしたら2着とか3着やって。それでいっぺん「益田にいたときみたいな競馬をしよう」と思って、最後方から行って、2コーナーからの大まくり、そしたら勝ちだした。
北防 ほんまあの馬強かったで。太くん乗ってるから余計に。
松本 僕、ニホンカイユーノスは太さんが乗ってるの見たことないんですよ、写真でしか見たことがない。でもニホンカイユーノスが1番好きなんですよ。強いまま引退したじゃないですか。僕、そういう強いものが好きなんですよ。
──なるほど。ではまたこれから”小牧さんといえばこの馬”という巡り合わせがあったらいいですよね。
小牧 そんな馬が現れたらいいよね。
今後の展望
──だんだん小牧さんのことが分かってきました。それでは今後の騎手人生第3章の展望を教えてください。
小牧 やっぱり早く重賞を勝つような強い馬と巡って、バンバン勝ちたいですね。大きいところは必ず勝てるようなね。
──先日の摂津盃が復帰後初の重賞騎乗でしたが。
小牧 いや、下手に乗ったわ。でもペースがペースだったんね。もうあれはしょうがないけど、あのときの馬場を考えたらもうちょっとね、行っとくべきやったな。スタートめっちゃ良かったから。後悔した。
──これだけの経験を積まれても反省の連続なんですね。
小牧 もう、そりゃそうです。
松本 有馬さん(有馬澄男調教師)も前に言ってはりました。「毎日勉強や!」って。太さんもそう思って乗ってはるんだなと思って。やっぱり勉強になりますので、太さんの乗り方を見とったら。
──北防さんは小牧騎手の兵庫復帰を改めてどう感じていますか?
北防 俺はまた太くんと一緒に仕事ができるとは思わんかったからめちゃくちゃ嬉しい。太くんが帰ってきてから、攻め馬は全休日以外ずっと調教行ってるしね。
──ここにきて、またやりがいが生まれた感じですか?
北防 俺、ほんまは仕事辞めてもよかったんよ。でも太くんがあと3年するって言うから、俺も3年ぐらいせなあかんなと。太くんが辞めるときに辞めるわ。
せやけど、ほんまあのとき後悔したもん。中央へ行かすために色々サポートしたけど、太くんが行ってから全然面白くなくなったからさ。太くんを中央に行かすべきじゃなかったなと後悔した。だから今は楽しいな。やりがいが復活した。
ただ、太くん、酒もっと飲むんかなと思ったけど飲まへんし、それだけはがっかりやったな(笑)。
──それでは、そんな皆さんから愛されている小牧騎手からファンの皆さんへ最後にメッセージをお願いします。
小牧 やっぱりね、園田競馬場に来てくださいと。みんな一生懸命乗ってるからね。そして何か楽しませるようなパフォーマンスを見せられたらいいですけどね。ま、頑張りますわ、そのために。
1時間に及ぶ座談会は終始笑いの絶えない、実に和やかな時間だった。
新たな道を進む本人の覚悟と、それを待ち望んできた周囲の人々の愛情が感じられた。
取材が終わって去り際に「今が1番楽しいですか?」と尋ねると、「そうやね。今が1番やわ」と迷いのない笑顔で返してくれた小牧騎手。
騎手・小牧太は、過去の栄光にこだわることなく、今をただ全力で挑み、そして楽しんでいる。
歩みを止めないレジェンドが織りなす新たな伝説に期待せずにはいられない。
聞き手・文:木村寿伸
写真:斎藤寿一