「馬に優しく、人に敬意を」 ―吉行イズムを受け継ぐ若き調教師の挑戦―
~吉見真幸調教師~
2025年5月8日、園田競馬場。
西日本クラシックのゴール板を真っ先に駆け抜けたのは、3歳牝馬キミノハートだった。
管理するのは吉見真幸調教師。2023年8月の開業から、わずか1年9ヶ月という早さで重賞初制覇を達成した若き調教師だ。
現在43歳。兵庫所属では同世代の西川進也調教師と並び、最も若い世代に属する一人である。調教師としてのキャリアこそまだ浅いが、厩務員時代を含めたホースマンとしての歩みは、決して短くはない。むしろ、その経験は濃密で、積み重ねた時間の重みがある。
「人に恵まれてここまで来ました。自分ひとりの力じゃないです」
吉見調教師はそう言って微笑んだ。
重賞制覇という結果がもたらす名声よりも、これまで関わってきた“人と馬”への感謝の気持ち。その言葉の端々には、謙虚さと責任、そしてホースマンとしての覚悟が滲んでいた。
競馬とは無縁だった少年時代。高校を中退してたまたま導かれた競馬の世界。
「まさか自分が調教師になるなんて、想像もしていなかったですよ」
だがその“まさか”が、彼の人生を大きく動かしていく。

競馬と無縁からの第一歩
大阪出身の吉見師は、原点に「騎手志望」や「牧場育ち」といった背景はないが、10代半ば頃からテレビでJRAのレースを見ていたそうだ。
「マーベラスサンデーとか…1997年くらいですかね。そのあたりの馬は記憶にあります。でも、競馬の仕事があるなんて知らなかったし、自分がそうなるとも思っていなかったです」
高校を中退し、将来に迷いながら過ごしていた彼に転機が訪れた。父親の知人が馬の飼料を運ぶ会社で働いていたことが、競馬との接点となった。
「紹介してもらった調教師が、溝橋利喜夫先生のお父さん(溝橋弘 元調教師)。当時、アラブ時代の大きな厩舎だったんですけど、『競馬場に入る前にとにかく馬が触れるようになるまで牧場に行ってきなさい』って言われました」と、紹介されたのは、明石にある大浦牧場。初めて目の前で見るサラブレッドの大きさに圧倒された。
「デカっ!最初は正直、これは無理やって思いました」
そんなスタートだったというが、1年ほど牧場で経験を積んだ後、19歳の頃に溝橋利喜夫厩舎に入り、厩務員としての生活をスタートさせた。まずは厩務員として朝の調教から馬の手入れ、馬房掃除や食餌の管理など、競走馬と共に過ごす西脇トレセンでの生活が始まった。
「何年か働いていたところで、ちょうど利喜夫先生が厩舎ごと西脇から園田に移るタイミングになったんです。僕は西脇に残りたかったんですが、色々と説得されて僕も園田に移り、それから1年くらいは利喜夫先生の所で仕事させてもらいました」
その後、寺嶋正勝厩舎に移籍して一旦西脇へ戻ることになるが、2004年秋に大きな転機が訪れる。
「吉行先生(吉行龍穂 元調教師)が開業するタイミングで、『一緒にやろう』って声をかけてもらったんです」
吉行厩舎の開業スタッフの一人として、立ち上げから関わることになった。
「これが人生の大きな転機でしたね」

吉行厩舎での大きな経験
人生の大きな節目となった吉行厩舎での厩務員生活は、「エピソードがいっぱいありすぎてね」と目を細める。吉見“厩務員”が、吉行厩舎時代に担当した馬には重賞ホースがズラリと並ぶ。
2010年グランダムジャパン古馬シーズン優勝の キーポケット(重賞7勝)
2014年兵庫ダービー馬の トーコーガイア(重賞2勝)
2016年NARグランプリ4歳以上最優秀牝馬の トーコーヴィーナス(重賞8勝)
※2015年グランダムジャパン3歳シーズン、2016年古馬シーズンと2年連続優勝
「キーポケットは中央でデビューできなくて兵庫に来たんです。馬は良かったんですけど、ゲートに難があって。そこから良い馬に成長して、デビュー戦もすごく走ってくれて」
そのキーポケットがデビュー戦で2着馬につけた「4.6秒差」は2006年当時の平地競馬の日本記録として話題にもなった。
2008年に園田競馬場で初めてJBC競走が開催されたが、JBCスプリント&クラシックの2つのJpn1に続く最終レースとして行われた兵庫クイーンカップ。
吉田勝彦アナがファンファーレの後に、詰めかけた2万人以上のファンに向けて、「園田競馬は明日も開催いたします。明後日も開催いたします。今日だけではありませんので、園田競馬どうぞまたお越しください」と語りかけたことで場内は大きな拍手。
「ありがとうございます」とその拍手に答えたことで、場内は大きな笑いに包まれた…というのが今でも語り草になっているが、このレースの優勝馬がこのキーポケットだった。

「オーナーの北前さんと、吉行先生と3人でご飯食べていた時に、北前オーナーが突然、紙を持ってきたんですよ。『今年こんなんあるらしいぞ。キーポケットのためにあるようなもんやん』って。(笑) で、グランダム・ジャパン古馬シーズンの初代優勝馬がキーポケットですからね」
2010年に始まったグランダム・ジャパンの初代女王にその名は燦然と輝いている。
「すごく記憶に残ってますね。(優勝報告会で)ファンの前に連れてきて写真撮りしてくれと言われたけど、気性の難しい所を持ち合わせた馬なんで、『いやそれはちょっと無理やろう』みたいな話をしていて・・・」
実際、ウイナーズサークルで口取りをしている時に馬が暴れてしまい、鞍上の田中学騎手を後ろの植え込みに放り上げてしまったという当時の記述もある。
「兵庫ダービーを勝ったトーコーガイアは、菊水賞の時は牧場先でアクシデントがあって帰ってこられなかったんです。ダービー直行か、中1週の厳しいローテにはなるけど1回実戦を叩くのか」の葛藤が陣営にはあったそうだが、一叩きを選択。厳しいローテ―ションの中でビッグタイトルを手にした陰には、吉見厩務員の入念な馬へのケアがあった。
「木村健騎手がもう一頭強いお手馬がいたのにこっちに乗ってくれたという思い出もありますね」と懐かしく振り返った。

「でも本当は勝てたのに…って馬がこれ以上にいっぱいいるんですよ。今の自分の知識と経験をもって、あの頃の馬をもう一回面倒見てあげられたら、勝ててたんじゃないかなって後悔が多い馬がね。それぐらい本当にいい馬を連れてきてもらってましたよね」
今、自分が調教師になって、なおさらそれを思うという。
「あの環境はすごかったんやなと思います。大きな舞台へ挑戦しに行くのが“普通”っていう環境でしたから」

膨らみ始めた調教師への思い
吉行厩舎に所属してすぐのタイミングでは、調教師目指そうという思いはまだなかったというが、「色んな経験させてもらって、色んなトライをさせてもらったし、いっぱい馬も触らせてもらったし、大きな舞台にも連れて行ってもらって。やっぱりそういう経験を踏んでいくうちに『なりたいな』って」自然と思うようになっていった。
「あとは、周りの同年代の影響も大きかったです。吉村(智洋)君とか。吉村君もあの頃はまだ、今みたいにリーディングを取ってるわけじゃなかったですけど、その時からよく言ってたんです。『いつか自分たちの時代が来る。今はとてもそんなふうに思ってもらわれへんけど、絶対に来る。いざ自分たちの時代が来たときに、自分はどの立ち位置におるん?』って。そんな話をしていました。若い時から、みんな上を目指してましたよね。『お互い頑張ろうな』って言いながら、暮らしてきた仲でした」
騎手と厩務員、立場は違うが大きな刺激を受け切磋琢磨をしてきた。その吉村騎手は、今まさに吉見厩舎の主戦騎手となっている。

「吉行先生は厳しい先生でしたね。いや、人には厳しいです。でも、馬には優しい。動物に対して、すごく優しい方でした。馬ありきなので、そういうこともリスペクトですし、すごく学びました。自分は若い頃、考えもまだまだ底辺で、自分の言うこと聞かない馬に対して感情で当たってしまうこともあって。でも、それがダメなんだということさえも当時は分かってなかったんです。そういうところも一から吉行先生は教えてくれました。あの教えは、自分の糧になっています」
そんな師匠の吉行龍穂調教師が、2018年8月に66歳の若さで急死。予期せぬ厩舎解散となった後、吉見厩務員は一旦は松平幸秀厩舎に移った。
「まさかそんなことになるとは思ってもいなかったんでね。当時から調教師補佐の試験も受け始めてはいましたけど舐めていました。何年かのうちに受かればいいやという甘い考えでいたんですよ。でも、先生が亡くなって。それからですね、性根入れてやらなあかんと思いました。将来調教師を受けたいということをお伝えした上で松平先生は受け入れてくださって。すごくいい環境でやらせていただいて、すごくありがたかったです」
そして1年後の2019年に調教師補佐になると、2022年には調教師試験にも見事合格。1年の準備期間を経て、2023年に“吉見真幸厩舎”を開業した。

その遺志を継いだ吉見真幸厩舎のエンブレムには、「龍」の漢字と稲穂が描かれている。
今度は調教師となって自分が厩務員を育てる立場になった。
「うちの厩舎の子たちは、本当に優しいですね。馬に対してちゃんと優しいです。ちょっと馬になめられてしまうようなとこもあるけど(笑)、優しい子が揃ってるんですよ」
吉行先生の教えが、吉見厩舎のスタッフにもちゃんと受け継がれているのだ。
「馬に優しく。これは先生から教えられた大きな財産のうちの1つです。吉行先生は人には厳しかったけど、僕は人にも優しいです」と笑った。

キミノハートで重賞初制覇
開業から1年9ヶ月、迎えた2025年5月8日。3歳重賞「西日本クラシック」でついにその瞬間が訪れた。キミノハートがスタートから先頭に立ってマイペースの逃げに持ち込むと、直線で迫る後続馬を振り切って優勝。吉見真幸厩舎にとっての初めての重賞タイトルとなった。
「本当に嬉しかったですね。でも、それ以上にホッとしたというか…関係者の皆さんのおかげで、ようやく結果を出せたという安堵が大きかったです」

キミノハートのオーナーである徳丸初盛氏は、アラブ時代の古くから園田で馬を所有しており、吉行厩舎の所属馬で2012年に笠松の重賞「サマーカップ」を勝ったシンボリバッハを所有していた。吉見師は厩務員時代にこのシンボリバッハに乗っていて調教をつけていたという縁もあり、また吉行厩舎と松平厩舎に在籍して古馬A1を7勝したハタノキセキの徳丸氏の持ち馬で何かと吉見師とも繋がりがある。
「徳丸さんは、何頭も園田でオープン馬を持っている人だったんですけど、不思議と園田の重賞には縁がなかったんです。デビュー馬を持つのではなく、現役馬を買って走らせるスタイルの方なんですが、うちの開業のタイミングで『最初で最後やな』と言って、一緒に北海道のサマーセールに来てくださって。何度も競り負けて、もうオーナーが帰られた後のセール後半の日に、たまたま見つけたのがこの馬だったんです。そういう縁があったんですね」

「初年度産駒だったルヴァンスレーヴの子供を探していたというのもありますし、オーナーとも牝馬が良いよねって話をしていたんです。牝馬の方が2歳戦や3歳戦の選択肢も多いし、全体的に値段は落ちるので」
セリ会場で見たキミノハートは、「歩きは良かったですね。牝馬だけど華奢ではなくて、幅もありました。パワーもありそうで、血統的にも園田をこなす血脈でもあった」という印象を抱き、期待をもって1045万円で落札した。
「JRAから良い馬が入ってくる古馬で勝負するよりも、2,3歳の重賞の方が取りやすいという考えはあって、スタッフにもうちは2,3歳戦で勝負しようというのは話していました。2歳のデビュー馬を買っていただくのも簡単ではないんですけど、頑張ってセリに行って仕入れはしてくるから、みんなで良い馬に育てようというのはスタッフにも話していました」

そんななかで出会ったキミノハートは、2歳の7月にデビュー。兵庫ジュベナイルカップで2着に好走するなど力の片鱗を見せ、クラシック戦線に名を連ねる存在となるかに思われた。しかし、10月以降、翌年2月までの6走でわずか1勝と不振に陥ってしまった。
「1,2走多かったかな……。走るのを嫌がっている感じで崩れちゃった感じです。メンタル面が繊細な子なので、休ませたのが転機になりましたね」
その言葉の通り、2ヶ月の休養からの復帰戦で勝利を挙げると、「一回使ったあとのメンタル維持がすごく良かったので、状態面を考え、のじぎく賞ではなくこちらを選択した」という西日本クラシックで見事に初タイトルを獲得した。
「厳しい人でしたけど、吉行さんもこの時くらいは喜んでくれたんじゃないですかね」
重賞を勝ったキミノハートの馬名には、“人の気持ちに応える”という意味が込められている。その名のとおり、オーナー徳丸氏と吉見調教師、そして恐らく天国からエールを送ってくれていた師匠の吉行師など、馬に関わるすべての人の想いがひとつになり、キミノハートはその気持ちに勝利という最高の形で応えてくれた。
兵庫優駿では3着に健闘したキミノハート。この後、7,8月は休ませて、秋は9月7日(日)の重賞「西日本3歳優駿」(高知1900m)を目標に調整される予定とのことだ。

理想と現実のはざまで
「吉行厩舎時代から繋がりのあるオーナーさんが、今もみんな開業当初から預けてくださって本当に感謝です。人に恵まれました。人に助けられて生きている人生です」と周りへの感謝を口にする。
「去年1年がまるまる初めて1年間、春夏秋冬を通してやった年だったんですが、周りの調教師さんとか本当にすごいなと思いました、リスペクトです。みんな苦労されてるんだなぁって。厩務員の時は目の前の馬のことだけやってたら良かったですが、今は、毎月高い委託料を払っていただいて馬を預かることの責任の重さを感じます。財産を預かるようなものですから。調教師になってからはそんな思考に変わりました。本当に歴代の先生方、そして先輩調教師の皆さんがすごいなって。そういう方たちが頑張ってきてくれたからこそ、競馬場も続いてるし、今もこうして賞金をもらえる環境がある。その分、僕らも頑張らなきゃって思います。兵庫県に貢献できる馬を持てたらいいなと思います」
その言葉の端々には、先人たちへの敬意と、調教師としての責任感がにじむ。

「正直、開業当初はすべてがうまくいくと思っていたんです。失敗することなんてあまり考えてなかった。でも、やっぱり実際にはいろいろと難しさがありました。人を使うことの難しさが一番ですね」と日々試行錯誤しているそう。
「厩務員さんをはじめスタッフもみんな頑張ってくれてるんですけど、それでもやっぱり色々あります。開業前にJRAの栗東・上村(洋行)先生のところに研修に行かせてもらって『こういう厩舎にしたいな』っていう理想像が、明確に大きくなっちゃったんです。馬に対しての接し方とか、時間のかけ方とか、厩務員時代に持っていた僕自身の当たり前の感覚ってあるんですが、スタッフとの“熱量の差”っていうのは感じました。働く目的というのもみんな違いますからね」と正直な思いを吐露する。
上村厩舎で感じたのは、厩舎としての“チーム力の高さ”だった。理想は助け合えるチーム。「地方競馬は特に“担当制”っていう意識が強いんですけど、今はJRAさんも外厩の牧場さんも、“チーム制”に切り替えていっているので。生き物相手だと一人じゃできないですから、助け合える厩舎になって欲しいなって思います」
開業の時に自分だけが先走ってしまい、現場との温度差、感覚の差を感じた反省から色々と改善しながらまもなく開業から丸2年が経とうとしている。
「やっぱり一気には無理なんで、ちょっとずつでも。最終的に理想の形になれたらいいなと思ってます」

厩舎を支える縁の下の力持ち
1年目は開業から5ヶ月で9勝、2年目の昨年は35勝だった。今年は上半期で20勝、昨年を上回るペースで勝ち星を重ねるなど、着実に前進を見せている。
今後に向けては、「もちろんリーディングとか、取れるものは全部取りたいですよ。ただ馬房数のこともありますので、今はひとつひとつですね。みんなそうやって勝ち上がってきてるんで。だからこそ目の前のことをちゃんと。それができれば、先の手段も広がります。開業して1年目から僕にこれだけ今を預けてくれてるオーナーさんがいることに感謝して、スタッフが居ることに感謝して。頑張っていけば一回チャンスが来る。そのチャンスが来た時にモノにできる厩舎になって、そうするとまた良い馬を預けてもらえるかもしれない」と、確実に一歩ずつ歩んでいくことの大切さを繰り返し強調した。
「しっかり出走させてそのままのパフォーマンスを出せたら、数字はもっとついてくるかなと思っています。 12月の終わりに自分たちがどのポジションにいるかというのは、やはり意識していきたいです。厩舎の数字って厩務員さんのモチベーションにも関わってくると思うので。あとは、助けてくれている縁の下で頑張ってくれている人もいるので、そういう人にもチャンスを与えたいですね。騎手にしても、なかなか騎乗機会を与えられない方もいますから」
吉見厩舎の馬にレースでこれまで一番多く騎乗しているのは吉村智洋騎手、そして2位が小谷周平騎手だ。
「小谷君がすごく協力的に頑張ってくれています。調教しているからそのまま全部小谷君にレースで依頼できるかといえばそうではない。それでもやってくれるのですごく彼には感謝していますよ。彼と勝ちたいなという思いもあります」

小谷周平騎手とも浅からぬ縁がある。
吉見師が吉行厩舎で厩務員時代に担当した名牝トーコーヴィーナス。その重賞初制覇を果たした時の鞍上が小谷周平騎手だった。
2014年の園田プリンセスカップ。騎乗予定だった木村健騎手が腰痛のため騎乗できなくなり、普段からヴィーナスの調教をつけている小谷騎手がその代役に抜擢された。
当時まだ重賞勝利の経験がない中で、任された大役を見事果たした。プレッシャーから解放され小谷騎手が流した嬉し涙は、今なおファンの記憶に残る印象的なワンシーンだ。
「物見をする繊細な馬で、影があるとジャンプしたりしてたんですが、ゲートに入ったらちょうど太陽が雲に隠れて影が消えたんです。神様が味方してくれたんです」
あれから10年以上の時が過ぎ、吉見厩務員は今や調教師。
小谷周平騎手は騎手会長を務める立場となった。そして、その息子・哲平君は父の背中を追って今年騎手デビューを果たした。
時間とともに、馬と人が作り出す感動の物語は熟成し、そしてまた新たな感動を生み出してくれることだろう。

さらなる高みへ
自慢の娘だったトーコーヴィーナスも今やお母さん。その初仔であるロハは中央デビューを経て吉見厩舎へとやってきた。そして、第二仔のディグナは吉見厩舎所属でデビューを果たし、新馬勝ちを収めた。
「子供をやらせていただけるのは本当に嬉しいです、感謝しました。ニューイヤーズデイを付けて欲しいと言ったのをオーナーさんが覚えてくれていたのか、本当にその種を付けてくれて。ちょうど開業年と重なったので、『開業祝いや』って預けてくださって。預託していただけるとなった時は、涙が出そうでした。ディグナもお母さんと一緒で気性が難しくてね。お母さんと体つきは全然違ったんですけど。新馬を勝ってくれて、厩舎にとっての大切な一歩になりましたし、嬉しかったですね。男馬(父ルヴァンスレーヴ/今年の2歳馬)も生まれて。血統も良いのできっとそのうちいい仔を出すんじゃないかな」
自分がこれまで直接携わってきた馬の子供や孫との繋がりもまた今後の楽しみの一つである。

「人に恵まれてる、人に助けられてますね、これが自分の財産かな。こうやって取材していただく機会も作ってもらってありがとうございます。あとこれも書いておいてください。預託馬を募集しているので、興味を持ったオーナーさんは是非ご連絡をお待ちしております、と(笑)」
吉見真幸厩舎 X https://x.com/Yoshimistable
開業当初は理想ばかりが先行し、現実とのギャップに戸惑うことも多かったという吉見師。人を雇い、チームとして厩舎を運営するという難しさ。馬に対する熱量の違いに悩むこともあった。それでも、自らの理想像を見失うことなく、一歩一歩、現場の改善を重ねながら、その形に近づけようとしてきた。
そんな日々の中で誕生した重賞ホース。吉見師の想いが、まずひとつ形となって実を結んだ瞬間だった。
ここから、さらなる高みへ―。
馬を預かるという責任の重さ。その意味を胸に刻みながら、若き調教師は今、自らが掲げた旗の下で、確かな歩みを続けている。

文:三宅きみひと
写真:齋藤寿一