騎手クローズアップ

未来へ羽ばたけ! 105期カルテット

~塩津璃菜騎手・新庄海誠騎手・高橋愛叶騎手・土方颯太騎手~

4月16日(火)、園田競馬場で4人の新人騎手がデビューを果たした。NAR地方競馬教養センターで2年間の騎手課程を終えて、騎手免許を無事取得した105期の4人。3人が同期としてデビューするのは、3年前の大山龍太郎騎手・佐々木世麗騎手・長尾翼玖騎手の期をはじめとして何度かあったが、4人同時となると極めて珍しいケースだ。

兵庫県競馬として史上2人目となる女性騎手もいて、注目を集める新人騎手たち。今回はデビューをして間もない4人にクローズアップ。騎手を志した経緯などを含め、4人の素顔に迫る。

塩津 璃菜(しおつ りな)騎手

2005年2月17日生まれ、岡山県出身の19歳。長南和宏厩舎所属で兄弟子には石堂響騎手がいる。

勝負服は「胴白・桃十字襷、袖桃・白一本輪」。出身地の岡山は、桃太郎や桃が有名なため桃色を使い、さらに兄弟子の石堂騎手が襷柄なのでそこに1本足して十字襷に。袖は桃色だけでは物足りない感じがしたので白の輪を入れた。

デビュー戦は4月16日(火)の第1レース、現役最高齢の16歳馬マイネルシャテールとのコンビだった(12着)。

「デビュー当日になって緊張が増してきて、レース前は心臓がバクバクしっぱなしでした。慌ててレースに出てしまっていたし、あまり鞭も使いこなせてなかったです。乗っているうちにだいぶ緊張は解れてきました。もっと追う練習と鞭の練習をもっとやっていきたいです。テレビで見るよりも迫力もすごいので、どんどん慣れていきたいです」

騎手を志したきっかけは、2歳頃にまで遡る。馬の可愛らしさに一目ぼれし、物心つく前にはもう馬が大好きな少女だった。犬や猫ではなく、“馬一択”だったそうだ。

小学3年生の頃、馬に乗ってみたいと親に頼んで近くの乗馬クラブで乗せてもらった。競馬はテレビでたまたま見て、「騎手の乗っている姿がかっこいい」と思い、憧れを持った。

中学を卒業した後、騎手を目指して一度は千葉にある馬の専門学校に通った時期があったが、「地元に地方競馬で以前騎手やっていた人がいて、お父さんがその人と知り合ったことからそのつながりで長南先生を紹介してもらいました」と専門学校をやめて、長南厩舎の厩務員として働きながら騎手を目指すことに。

その時に担当していた馬の1頭がヨウウッドテール。厩務員時代に何度も勝利を挙げた愛馬には、4/18(木)の1Rで騎乗した。元担当馬に自分がレースで騎乗することについては、「ワクワク感がすごいです」と目を輝かせた。

厩務員時代に続き、今度は騎手としてヨウウッドテールを勝利に導く特別な瞬間を楽しみにしている。

塩津という苗字ゆえ、同期から「CO2」というニックネームを考えてもらった。ただ「ファンからは『璃菜ちゃん』と下の名前で呼んでもらいたいです」と本音がチラリ。

「パドックで見られるのはプレッシャーを感じる」とのことだが、「『璃菜頑張れ~!』という応援の声もあって嬉しいです。頑張らなきゃと思います」と話す。

兵庫県の女性騎手は2人目なるが、「佐々木世麗さんみたいにもっと格好良く騎乗できるように。注目してもらえるように頑張りたい」と、新時代を切り拓いた先輩の背中を追いかける。

4月17日(水)の12Rでは、最低人気馬ロルバーンスカイで2着に入り、初めての馬券絡みも果たした。
「前に行こうと思ったんですけど、前に行かれてしまったので、佐々木世麗さんの横で我慢して、直線向いた時に手応えもあったのでしっかり追いました。ファンの人が買ってない馬で2着取れたのはでかいです」と少し自信を深めることができた。

そして、週を跨いだ4月23日(火)の8Rでフィオリーノに騎乗して逃げ切り、デビュー13戦目で初勝利を挙げた。

820m戦でしっかりスタートを決めて逃げに持ち込み、直線は後続を4馬身突き放しての初勝利だった。

◆塩津璃菜騎手初勝利 騎手インタビュー◆

長南厩舎所属で、兄弟子は7年目の石堂響騎手だ。
「長南先生はレースを振り返りながら細かく説明してくれて分かりやすいです。石堂騎手は分からないことを細かく教えてくれるので、とても良い兄弟子のもとに入れたなと思っています」と師匠や先輩の教えを吸収しながら、レースの度に試行錯誤している。

石堂騎手に塩津騎手のことを尋ねると、「かわいげのある、愛嬌のある子ですね。当然ながら技術はまだまだ。なので馬乗りに対してもうちょっと研究心を持って欲しい。レース映像をもっと見て、なぜ負けたかというのを早く理解できるようになっていけばいいのかなと思います」と厳しくも愛情あるコメントが返ってきた。

今は、「鞭の使い方とコースの回り方」という課題に向き合いながら、1つずつ学びを重ねている。

「今後の目標としては、2勝3勝とどんどん勝ち鞍を挙げていきたい。できれば今年40勝くらいはしたいですね」

新庄 海誠(しんじょう かいせい)騎手

2001年6月5日生まれ、兵庫県出身の22歳。柏原誠路厩舎所属。

勝負服は「白・水鋸歯形」。自身の名前の由来でもある新選組をイメージし、父に相談して決めた勝負服。「シンプルで覚えやすいものが良い」という師匠・柏原調教師のアドバイスの通り、理想の勝負服になった。

デビュー戦は4月16日(火)の第1レース、エムオーベリーに騎乗して5着だった。土方騎手以外の3人が同時デビューというレースで再先着を果たした。

「前日もしっかり眠れましたし、緊張というのはあまりなかったです。でも全然うまくは乗れなかったですね。よく見てきた競馬場なので意外とスムーズには入れました」とデビュー当日を振り返った。

“よく見てきた競馬場”とは。実は、騎手過程に進む前には柏原厩舎で厩務員として働いており、12連勝で摂津盃優勝を果たしたヒダルマなどを担当していた。厩務員時代に何度もゲート裏にも行っており、レース前の雰囲気などは既に経験していた。その分、平常心でレースに向かうことができた。

「レースは難しいなと思いますが、楽しいです。期待してもらっている分に応えられない悔しさも感じつつですけれど、乗ること自体は楽しいです。そんなに余裕がないので、レース終わって改めて映像を見ると『ここ行っとけば良かった』とか思うことが一杯ありますけど、実際に乗っていたらその判断がまだ難しいですね」

兵庫県尼崎市の出身、園田競馬場の近くで育った。幼少期から父親に連れられて競馬場にもよく遊びに来ていた。出待ちして木村健騎手にサインを貰ったり、下原理騎手にあこがれたりする競馬好きの少年だった。

中学卒業と同時に一度教養センターに入学したが1ヶ月くらいで「きつくてもうジョッキーはいいかな」とやめてしまった過去がある。乗馬クラブの伝手があり卒業したら柏原厩舎に所属することが既に内定していた中で、退学後には「厩務員として柏原先生に拾ってもらいました」。

厩務員として5年間の歳月を過ごす中、「返し馬でパァーっと駆けて行く姿をそばで見ていたら格好良くて、自分で乗って勝ちたいな」と騎手への憧れも捨て切れなかった。教養センターの受験資格は20歳まで。19歳の時に再受験をしたが不合格、そしてその翌年のラストチャンスをものにして再び教養センターに入学することができた。

「きついですけれど、自分に余裕もできたこともあって楽しく過ごせた」という2度目の教養センターを無事に2年で卒業し、22歳にして念願だった騎手免許を取得した。

他の3人には所属厩舎の兄弟子がいるが、柏原厩舎所属は新庄騎手のみということで異なる。

「兄弟子がいないのは寂しいですね。でも川原さんがすごく色々と教えてくれます」と直接の兄弟子ではないが、ヒダルマの主戦騎手でもあり柏原厩舎と縁の深い川原騎手に良くしてもらっているという。通算5800勝を超える65歳のスーパーレジェンドに対して、「ほかの子は話しかけにくい人もいるかもしれないけれど、僕は気さくに話ができます」とのこと。

「柏原先生からは、騎手出身ではないので技術面より人間性の部分を教わることが多いです。デビューから坂本厩舎の馬にたくさん乗せてもらって、レース後には坂本先生から色々と教えていただいています。失敗ばっかりですけど、我慢して使っていただいている間に期待に応えたいですね」

自分自身を「控えめな性格」と話す新庄騎手。「元々コミュニケーション取るのが苦手であんまり喋れなかったんです。5年間西脇で厩務員をやっている中でやっと喋れるようになったかな」と。「学校を一回やめてしまったようにメンタルも弱いんです」と謙遜するが、再び立ち向かって長年の夢を叶えたのだから立派だ。これから十分な伸びしろもあるということだ。

「まだ自分のスタイルができていないので誰かをお手本にしてというのはないですが、逃げる時は川原さんみたいにスッと押さずに楽に前に行きたいですし、ハコに入ったら下原さんみたいにじっと我慢してレースをしたり・・・。川原さんが現役で続けられている間に全てを吸収したいですね。そして自厩舎の主戦になれるように」と先輩騎手の技術を盗もうと貪欲な姿勢を見せる。

「下半身が弱いというのもありますし、それだと馬の邪魔ばかりしてしまうので、綺麗に乗れるようになりたいですね」と今の課題を挙げるが、「緊張なく平常心で乗れている」のは大きな強みだ。「引っ掛かったりとか、物見したりしても慌てることはないです」と長く競走馬に携わっている経験が生きている。

「騎手になったのは自分のためもありますが、お父さんに喜んでもらいたかったのもあるんですよね。一度学校をやめた時に失望していたと思うので。騎手になれたので、ここからは自分のために頑張ります」

少し時間はかかったが、父親の夢も叶えた孝行息子だ。

今後の目標は「人気している馬を勝たせるジョッキーになりたいです。まずは1つ勝ちたいですね。そしてもっと勝って新人記録で今年100勝したいですね。最初の3日間で自信なくしてて、雲行きが怪しいですけど(苦笑)」と揺れる思いも吐露するが、デビューから4日間で16戦して2着1回、3着3回と人気薄を上位に持ってくるなどの騎乗も見せている。5着以内は実に10回もあり、慌てない堅実な騎乗が見て取れる。初勝利は間近だ。

高橋 愛叶(たかはし まなと)騎手

2006年6月17日生まれ、兵庫県出身の17歳。栗林徹治厩舎所属で兄弟子には下原理騎手と鴨宮祥行騎手がいる。

勝負服は「白・胴緑二本輪、袖緑一本輪」。自分の好きな色と好きな柄を使った勝負服。大好きな菊花賞馬キセキの勝負服を真似し、袖に一本輪を足した。胴に合わせて二本輪にせず、袖を一本輪にしたのは「特に理由はないんですが、二本は暑苦しいかなと思って(笑)」とのこと。

デビュー戦は4月16日(火)の第1レース、サンアルフィーに騎乗して6着だった。

「前の晩はもう緊張で寝られなかったです。最初のレースは緊張しすぎてあっという間、気づけば終わっていました」と初陣を振り返る。

しかし、第5レースでセンテッドジュエルに騎乗すると、820m戦を大外枠から逃げ切って初勝利を挙げた。

「(田中)道夫先生からは『スタートが速い馬で大外枠だから、ゲートに入る前からたてがみはしっかり握っておくように、掴まっているだけで出てくれるから』と言われていました」というが、その通りのトップスタートを決めてみせた。

ただ逃げないように言われていたそうで、「4番手以降にはなりたくなかった。これまでの勝ちパターンである2,3番手には行きたかったので、二の脚が遅れないよう押していきました」と、2番手の絶好ポジションでレースができた。

直線は3頭併せ馬の真ん中に入っての追い比べに。
「間に入った経験があまりなくて少し怖さはありましたが、全力で追って勝ってやるという気持ちでした。ゴールではクビだけ出ていて、テレビとかで見ていてクビ差が乗っていて分かるもんかなと思っていましたが、実際に勝ってみると分かるもんだなと実感しました」と色んな初体験を吸収しながら手にした初勝利だった。

◆高橋愛叶騎手初勝利 騎手インタビュー◆

「勝った時はあまり実感湧かなかったんですが、色んな騎手・調教師・厩務員の方におめでとうと言ってもらって勝ったという実感が湧いてきました」

デビューからわずか3戦目、同期の中で最初に掴んだ白星だった。

兵庫県の高砂市出身、3人兄弟の長男で弟と妹がいる。幼少期から父親に連れられて、姫路競馬場や阪神競馬場には観戦に訪れていてレースを見るのは好きだったというが、騎手になった直接のきっかけは弟だったという。

「弟が最初に騎手を目指していて、馬に乗っている姿を見て羨ましいなと思ったんです。弟は小学4年くらいから乗っていました。自分もついて行って馬に触ったりはしていて、馬は好きだったんです。そして自分も中学1年の冬休みに体験乗馬に行かせてもらって、乗るのがすごく楽しいなと思って。姫路競馬場にレースを見に行った時にかっこいいなと思って騎手を目指すようになりました」

「パドックで跨って観客を見た時にジョッキーになったんだなと実感しました」と、ファンとして見ていた時と立場が逆になったことで騎手になる夢を叶えた喜びを覚えている。

「レースは、自分の真ん前やすぐ横に馬がいて距離感が近いです。迫力がすごいです。乗っていて楽しいです」

緊張感の中でも、大好きなレースに参加できる騎手として醍醐味を味わっている。

「今は3kgの減量を活かして、前の位置につけてできるだけ粘りたいです」と、新人ならではの形に持ち込む競馬を意識しながらレースに臨んでいるという。

周りから明るいと評される性格も、以前はそうではなかったという。

「去年の厩舎実習の時に石橋厩舎の厩務員さんに『いつも笑顔でいた方が良いよ』と言われて、それから笑顔を作るように意識しました。それで笑顔が増えました。以前はあまりそういうのはなかったので、愛想が良くなったなと自分でも感じます」

元々は一人が好きな性格だったというが、それではやっていけないと気づき、すぐにアドバイスを受け入れる素直さを持っている。

趣味は、競馬観戦のほか、空手やランニング。空手は小学1年生から中学1年生頃まで6年間続けた。そして走るのも昔からの日課だという。

「走るのは好きです。調教終わってから昼間走ったりしています。開催がない日は、下半身鍛えるために毎日10km以上は絶対に走るようにしていますね」

趣味を兼ねたトレーニングで自身を強化中だ。

親戚の知り合いが馬主さんでその伝手で所属することになったという栗林徹治厩舎。

「栗林先生は馬乗りなど色々教えてくださって、めっちゃ面倒見てくださるんで、厩舎に所属して良かったなと思います。実習の時も毎日先生の家でご飯食べさせてもらっていました。あまり怒られたりはないです」

そして、兄弟子は下原理騎手と鴨宮祥行騎手と2人いる。

「下原さんは年が上すぎるので・・・たまに教えていただいたりする機会はあります。鴨宮さんは初日には検量の仕方を教えてもらいましたし、普段も馬の癖やトレーニングの仕方などを教えてくれます。鐙が長いので短くして乗れるようにとアドバイスいただいています」と頼りになる先輩からの金言を受けている。

「まず早くに初勝利できたことは大きいです。やっていけるという実感は持てました。50勝以上して重賞にも参加できるようになりたいです」と1年目の目標を力強く話してくれた。

土方 颯太(ひじかた そうた)騎手

2007年2月9日生まれ、岐阜県出身の17歳。高馬元紘厩舎所属で兄弟子には高畑皓一騎手がいる。

勝負服は「胴青・水ダイヤモンド、袖白・青一本輪」。ダイヤモンド柄は、兵庫では誰も使用しておらず、厩舎のメンコと同じ柄だったため。騎手を目指していた時にかっこいいなと思っていた色でデザインした。

デビュー戦は4月16日(火)の第2レース、他の3人の初陣から遅れること30分、土方騎手もデビューの時を迎えた。(自厩舎のアタカマリンに騎乗し12着)

「デビュー前は、前の晩から緊張していました。ゲートに入ってからは緊張はしなかったですが、それまではずっと緊張しっぱなしでした。自分がどこ走っているのかも分からないままで、外を回るロスが大きくて回るのが精一杯という競馬になってしまいました」

教養センターで騎乗訓練や模擬レースなど鍛錬は積んできたが、「レースになると全然違いました」とデビュー戦を振り返った。

悔しい思いもあったが、「人に見てもらえるというのはすごく嬉しいですね」と騎手という憧れの職業に就いた喜びも感じた初陣だった。

最初の3日間で8鞍に騎乗したが、新人4人の中で唯一馬券絡みが果たせず悔しい思いがあった。デビュー初日には高橋騎手が先に初勝利を挙げ、それを見ていて、「820m戦は自分もああいうレースがしたいなと思いました。(先に勝たれて)めちゃくちゃ悔しかったです」と負けず嫌いな一面を覗かせた。

しかし、デビューから1週間後の4月23日(火)にその瞬間は訪れる。
第7レース、キャリーアドリームに騎乗し、デビュー11戦目で初勝利を挙げたのだ。スタートを五分に決めると迷わずハナへ。そのまま道中のペースをうまくコントロールし、逃げ切り勝利を収めた。新人の中では、高橋騎手に続く2人目の初勝利となった。

「本当は一つ前(5R) のハワイアンパレス(2着)で勝たないといけなかったんですが、勝ててホッとしました。璃菜より先に勝てましたしね(笑)」と笑顔を見せた。

◆土方颯太騎手初勝利 騎手インタビュー◆

父親が競馬を見ていて、その影響で競馬を知った。出身は岐阜県、車で30分くらいの距離にある笠松競馬場にしばしば観戦に訪れていた。JRAも中京、京都、阪神といった競馬場にも足を延ばしたこともあったそうだ。

スポーツが好きで小学生の6年間はずっと野球をやっていた。ポジションはセカンド。しかし、体が小さく結果がなかなか出せなかったという。そんな中で父親から騎手という仕事があると聞き、勧められて小学5年から乗馬も始めた。最初から騎手を目指していたわけではなかったが、乗馬を続けるうちに徐々に気持ちが高まり、中学2年の頃に将来の進路を騎手に定めてトレーニングに励み、夢の切符を掴んだ。

教養センターの教官は、「真面目な性格で木馬等を使用したトレーニングをしている姿は同期で一番多かった」と評していた。さらに同期や先輩からも「真面目」という評価を得ている。

その点を本人に聞くと、「自分は一個のことしか集中できないタイプなんです。努力した分だけ自分を高められると思っていて、そこに向けて一点集中する方が惑わされないですから。そんな姿を見て真面目と言われるのかな。ゲームとかもそうですが、一回ハマったらやりこんじゃう。勉強はサボりがち、嫌いなことはやらないですから、本当は真面目じゃないんですけど(笑) 」と謙遜したが、この取材を担当した筆者も彼からにじみ出る真面目さをひしひしと感じながら話を聞いていた。

兄弟子の高畑騎手は、土方騎手についてこう語る。
「乗っている姿はいいので、あとは位置取りをしっかりできれば。攻め馬とかびっしり時間かけてやっているし真面目だね。ずっと僕の近くでウロウロして色々と訊いてきます。年が倍も違うから息子みたいなもんだよね。なかなか怒れないですね、注意はしますけど(笑)」
(そばで話を聞いていた塩津騎手が「高畑さんは西脇で一番優しい先輩です」と一言)

かたや土方騎手は、
「高畑さんは攻め馬も0時半の朝早くからやっていますし、すごく尊敬しています。馬の癖とかもよく教えてもらっています。高馬先生は、すごくたくさんアドバイスをくれます。毎レース終わった後に解説をしていただけるのでありがたいです」と先輩や師匠からのアドバイスをしっかり吸収している。

「性格は負けず嫌いです。人と同じことをやっていてはダメだなと思っています。(教養センター時代には)練習用の木馬に一番乗りました。騎乗フォームは他には負けないです」と胸を張る。

自分自身で目標を立てそこに向けて黙々と努力できる勤勉さを感じるが、「あんまり人には言わずに自分自身をしっかり見つめてやれるところはありますが、逆に芯を持ち過ぎて他人の意見を取り入れないところがある」と長所の裏に短所が潜んでいることも自覚できている。

今後の目標については、「ペースコントロールや道中の運び方、馬の脚を最後までいかに持たせられるか。馬群の中に入れて、できるだけロスなく立ち回る感覚を早く身につけたいです。馬の全能力をゴール板で出し切れるようになりたいです。今年1年は数多く乗ること、まずは経験を積むことを目標にしています」とまっすぐ前を見据えた。

同期4人 お互いの印象

“同期が4人いること”についてはどう思っているのか、それぞれに聞いた。

塩津騎手
「同期4人は、喧嘩もせずみんな仲良いです。ライバル同士として頑張っていきたいです」

新庄騎手
「乗り鞍が欲しいので同期は少ない方が良かったです(苦笑)。 他地区ではもう1日10鞍近く乗っている同期もいるので。乗るごとにうまくなりますからね」

高橋騎手
「周りから見たらお互いライバル視していると見られるかもしれませんが、意外と4人みんな仲良くてライバルというバチバチ関係ではないですね」

土方騎手
「競馬場の作業とかは協力してやっていますし仲は良いけど、ライバルだと思っています。乗り馬とかに関しては隙があれば・・・とやはり思います」

お互いにどういう印象を持っているかについても訊いてみた。

<塩津騎手の印象>

新庄騎手より
「可愛がられるキャラですね。いい意味で距離近く行ける子なんで。乗り方も女の子らしく柔らかいですね」

高橋騎手より
「穏やかで優しいです。怒ったのを見たことがないです。塩津さんと自分は色々と共感しあえることが多いです」

土方騎手より
「人と喋ることが好きな子、人懐っこいイメージがあります」

<新庄騎手の印象>

塩津騎手より
「優しくて、分からないことを結構教えてくれるところが良いです」

高橋騎手より
「お互いに競馬が好きなので競馬の話をしたり、プライベートでも結構ご飯を一緒に食べたりします。やっぱり大人という感じがしますね」

土方騎手より
「競馬業界の経験が多いので色々と頼りにしています。年上なので大人な感じがします」

<高橋騎手の印象 

塩津騎手より
「面白くて、分からないことがあったら何でも教えてくれます」

新庄騎手より
「ガッツがあります。強気ですね。ずっと一緒にいてすごく仲が良いんですけど、いい意味でちょっとバカなところがあるので(笑)ガーッと行けるところが羨ましいですね」

土方騎手より
「年が同じなので色々聞いたりしています。彼も負けず嫌いじゃないですか(笑)」

<土方騎手の印象

塩津騎手より
「静かな印象です。喋らなくはないんですけど少しだけですね」

新庄騎手より
「ちょっと大人しいんですけど、すごく努力できる人。一人で黙々と木馬に乗ってというタイプ。もっと強気で乗ったら追い方も綺麗なんで、じっくりですけどそのうち伸びてくるんじゃないですかね」

高橋騎手より
「真面目です。同級生なのでお互い話し合ったり、トレーニングのこととかを聞いたりしています」

教養センターの105期として2年間共に学び、兵庫県競馬で騎手となった4人。お互いに切磋琢磨しながら高め合い、未来へと大きく羽ばたいていくことだろう。

文:三宅きみひと 
写真:斎藤寿一   

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