戮力協心にして事に当たる
永島太郎調教師
パドックの周回を終えた馬達が馬道を通って返し馬に入る。園田の実況席からふと西側のウイナーズサークルに目を向けると、管理馬の返し馬を見守っている永島太郎調教師の姿があった。
今年で開業4年目を迎えた永島太郎厩舎。開業初年度に23勝。2年目以降も29勝、37勝とキャリアハイを更新。今年は3月の姫路開催からペースを上げると、10月31日の開催終了時点で年間54勝。勝率、連対率も大幅にアップし、兵庫リーディングの上位を賑わせている。
今月は躍進を続ける新進気鋭の厩舎にスポットライトを当てる。
厩舎を支える同期の存在
永島太郎厩舎の初出走は2020年2月20日の園田競馬5R。初勝利を挙げたのは通算10戦目。初出走から1ヵ月後の3月24日だった。
「長く続けていく仕事なので、初戦は特に緊張はしませんでした。初勝利の瞬間は”こんなにも嬉しいのか”と思いましたね」と、騎手時代とは違う喜びに浸ったそうだ。
「頼りない神輿を担いでくれているスタッフや厩務員の松浦政宏を抱きしめたかったです。ありがとうという気持ちで感謝を伝えたかったです」。
松浦政宏厩務員は元兵庫の騎手で、現役時代に地方通算1216勝、重賞15勝を挙げた実績がある。永島太郎調教師とは競馬学校の同期。互いに切磋琢磨をしてきた良きライバルだ。現在は永島太郎厩舎の厩務員として働いている。
「うちに来てくれないか?と猛アタックして口説き落としました。30年近く同じ競馬サークルにいたので人間の中身も分かるし、裏切る人でないのも分かっています」。
人間性だけでなく仕事への取組み、姿勢を間近で見てきたからこそ欲しい逸材。永島調教師の執念が身を結び厩舎の一員となった。
「知識、感覚も素晴らしく、馬を作る部分は彼なくしては出来ないですよ。僕がやりたい事、分からない事を言ってくれますし、厩舎が成り立っているのは彼のおかげで間違いないですね。同期2人やっている、『力を貸してくれ』という感じやっています。彼が調教師でも良いレベルですが、本人が『調教師には向いていない』と言うんですよ」。
騎手時代から技術の高さが評価されていた松浦政宏厩務員。職人肌の彼が中心となり躍進を続ける厩舎を支え、今日も手間暇かけて馬づくりをしている。
「私はオーナーから請け負った仕事をスタッフにやって貰っているという気持ちを第一にしています。立場は違うが同じ目線で思っている事を言い合える、意見を出し合える関係を作っていきたいです」と、厩舎の雰囲気作りに励んでいる。
第2のホースマン人生へ
2019年にNARの調教師免許試験に合格すると、同年7月31日の園田競馬12レースで約28年間に及ぶ騎手人生に終止符を打った。騎手時代には重賞通算21勝、地方通算2043勝を挙げた兵庫の『ゴールデンジョッキー』だ。
前回のChargeクローズアップ(2017年9月)では調教師転身については『未知数』と仰っていた。調教師転身へ心が揺らいだのはどのタイミングだったのだろうか。
「騎手時代にJRAの騎手免許の試験を受けようと勉強を始めました。学んでいく内に自分自身で馬を作ってみたいと考えるようになりましたね。馬の個性に合わせて、引き出しをどれだけ沢山作れるかやってみたかったんです。引退するまでの5~6年あたりは調教師からいつレースに使うとか、調教のメニューも任されていましたね。勉強した延長線上で責任の持てる立場になりたいという気持ちが強くなりました。」。
第二のホースマン人生を意識しながらも勝ち鞍を積み上げ、2018年に期間限定騎乗先の門別で通算2000勝を達成。晴れてゴールデンジョッキーの仲間入りを果たした。
翌年にNARの調教師試験を合格。同時に騎手人生との別れを意味する。騎手引退となったのだが騎手への未練はなかったのだろうか。
「ハーキーステップという馬と出会ってJRAの1勝クラスに挑戦させて貰いました。あのクラスを勝てる力のある馬でしたが、私が上手く乗れず5着でした。その後、JRAに移籍してクリストフ・スミヨンが跨って勝ったんですね。あのレースを観ていて、僕の騎乗技術と全く違って辞めて良かったなと思いました。騎手への未練はありません」と言い切った。
免許取得後はJRAの武幸四郎厩舎、西脇の田中道夫厩舎で修業。新規開業に向けての準備期間に入った。
「修業期間中で自分がなんて下手だったんだろうと気付かされました。もっと努力出来ただろうと思いましたね。騎手の時はやっていると思ったが、辞めてから振り返ると、技術面も含めて何もかもが足りなかったです。今は調教師として頑張ろうと思いました」。ステッキを置いてからおよそ1年間は自身を見つめ直す、実力を再認識する機会となった。
最初の研修先となったのが栗東の武幸四郎厩舎。研修中に学んだ事が自厩舎の礎となっている。
「武幸四郎厩舎は『人と馬とのルールづくり』を第一に、馬に対して一番しんどいことを理解させて我慢させる事をポリシーとしていています。僕の頭の中には無かった事ですね。私の厩舎でも実戦させて頂いている事です」。
レースでは常に理想的通りのレースが出来るとは限らない。砂を被ったり、馬込みで揉まれたりする事もある。調教の段階で馬に辛いことを経験する事で馬自身も学んでいく。
「JRAの施設、環境と比べると地方は劣りますが、人間と馬とのコンタクトはどこでも教える事は出来ます。私の厩舎の形で言えば騎手が安心して乗れる馬を作りたいと考えています」。
2歳の若馬や気性が荒い馬はレース面だけでなく、パドックや装鞍などでも気を使わなければならない。
「不安要素を抱えたままレースを迎えるよりも、装鞍の時から馬を降りるまで騎手にマイナス要因が少しでも少ない厩舎でありたいです。私は騎手という業種を引退してからより一層リスペクトしているので、装鞍は厩舎スタッフでやるようにしています」。
装鞍は騎手も立ち会って鞍の置く位置を決めたりするシーンが多く見られるが、永島厩舎では基本スタッフのみで厩舎装鞍を行っている。
「それは何故かというと、騎手自身が鞍を置こうとした時に怪我のリスクが大きいじゃないですか。騎手は乗ってもらう人ですから、ゆっくりしていて欲しいです。レース直前で馬に蹴られたり、踏まれたりしたら大変な事になりますからね。スタッフに装鞍予定時刻よりも早く動いてもらう事になりますが、バタバタしながら着けるよりは落ち着いている時にする方が良いですよね。」。
人馬共に平常心でレースに挑むためにはどうしたらいいのか。騎手出身の調教師だからこそ考えられる対策だ。
緊張の親子競演
JRA騎手の地方競馬によるエキストラ騎乗が今年3月から解禁された。2021年にJRAの騎手としてデビューを果たした次女の永島まなみ騎手と初タッグを組んだのは3月15日の姫路競馬12レースだった。
「乗せなきゃ良かったと思いました(笑)。返し馬から心配で・・・何かあったらどうしよう?とか、ゲートの中での一挙手一投足も全部がドキドキしていました」。
今迄にない独特な緊張感に襲われていたそうで「ずっと変な感じでした。JRAデビューの時と違う緊張でしたね。他のレース以上に人馬ともに無事でと願っていました」。
永島まなみ騎手が跨ったメイショウオニテは直線で先頭に立つ強い内容で人気に応えた。親子タッグで初めての勝利を決めてファンから歓声が飛んだ。口取り写真では永島まなみ騎手が用意していたお父さんの勝負服を着るサプライズもあった。
「子供の時から騎手を目指し、夢を叶えて私の管理馬で勝ってくれました。競馬サークルのメンバーが祝福してくれて嬉しかったですね。ひとつのドラマを観させてもらいました」とホッとした表情。さらに10月4日の園田競馬でも親子タッグで勝利を決めると再びファンの温かい声援が競馬場に響いた。
デビュー3年目の永島まなみ騎手はJRAで今年37勝(10月31日終了時点)を挙げ、自身のキャリアハイを更新中。地方でも今年14勝を挙げる活躍を見せている。
各地で活躍する姿を父・永島太郎調教師の目にはどう映っているのだろうか?
「まだ減量もありますからね。チャンスのある馬に乗せて貰える環境になったのは本人の努力だと思います。ただ、今の技術のままだと『駄目なレッテル』を貼られたら剥がすのに苦労するでしょうね。どんなレッテルを貼られても直ぐに剥がせる本物の技術を良い馬を乗せて貰えている今の間に身につけてくれたら。競馬は他の公営競技以上に人間関係が重要ですし、可愛がられる存在でいて欲しいですね」。
自身が騎手時代に辛い経験してきたからこそ伝えられるこの世界の厳しさ。温かくも厳しい目で愛娘を見守っている。
尊敬する名手との夢タッグ
9月14日、今年で30回目を迎えたゴールデンジョッキーカップ。第2戦のエキサイティングジョッキー賞の本馬場入場。誘導馬ストラディヴァリオ号の背中には現役時代の騎手服を身に纏った永島太郎調教師の姿があった。
節目の記念大会は3競走に現在兵庫の調教師として活躍するゴールデンジョッキー4名が誘導馬に跨りファンを喜ばせた。
「騎手として出場が叶わなかった大会に管理馬3頭も送り出せたのは幸せな事です。自身も誘導員として携わることが出来ましたし、第2戦で管理するディージェーサンに武豊さんが乗ってくれたのはドラマですね」と興奮気味に語った。
武豊騎手とは20年来の付き合いになる。
「園田で行われていたインターナショナルジョッキーカップ後のレセプションで勇気を出して声を掛けました。それをキッカケにプライベートでも呼んで貰えるようになって、豊さんには良くして頂いています。同じ空間で一緒にいられるのが嬉しかったです」。
人としてリスペクトしている武豊騎手とタッグを組める事が夢のように思えた。
10大会ぶりの出場となった武豊騎手はスペシャルウィークの勝負服を着用する事も決まり大いに注目を集めていた。単勝1.2倍の1番人気。圧倒的な支持を集めたディージェーサンに騎乗した武豊騎手は、道中3番手につけると4角で先頭。危なげない競馬で人気に応えた。
レース後の口取り写真で武豊騎手と永島太郎調教師がガッチリ握手を交わした。
騎手服姿の永島太郎調教師と今回限定の勝負服を身に纏った武豊騎手の姿をカメラに収めようと多くのファンが集結。同時に祝福の声がスタンドから飛んでいた。
勝利騎手インタビューでは武豊騎手が永島調教師とのコンビで勝てた喜びを語っている。
「メディアを通じて『友達の永島』と言って貰えたのは僕の中で嬉しかったです。有り得ないことが目の前で起きて信じられないですよ」と、一生忘れられない1日を振り返った。
重賞クビ差の2着 将来への期待
永島厩舎に重賞タイトルを狙える逸材がいる。その名は「トウケイカッタロー」。
3頭のお姉さん達も兵庫に在籍していた事がある。1つ年上のトウケイラオフェンは永島厩舎でデビューした馬だ。
「この仔のお姉さん達は調教で携わる事があって、気持ちの面でゲートが悪かったり、レースをやめようとする所がありました。ゲート検査の時から田中学騎手とコンタクトを取って、姉妹の特徴をある程度把握している中での育て方を考えていました。お姉さん達を見てきたから出来ることですね」。
レースを覚えていない中で臨んだ新馬戦を快勝。続くアッパートライ競走も勝って、無敗のまま10月12日の第1回ネクストスター園田に挑んだ。重賞2勝馬で無敗のマミエミモモタローや、クラウドノイズ、ダイジョバナイなど将来有望の2歳馬が揃った。
五分の発馬から道中は5番手追走。初コンビの赤岡修次騎手はスタンド前で内ラチ沿いに入れた。勝負所の3角手前で前と離されてしまった。「馬が若さを出して一度やめそうになっていました」との事だが、外へと切り替えると抜群の反応でスピードを上げる。
鋭い末脚で先に抜け出したマミエミモモタローに迫るがクビ差届かずの2着。初の重賞制覇にあと一歩届かなかった。
「諦めずに伸びてきたという所はやってきたことは間違ってなかったと認識できました。デビュー前、うちに来てから感じた普段の仕草や、ゲートで急にスイッチが入る部分をいかに馬とうまく付き合っていくかですね。今回で騎手が乗った時に感じた事と僕が感じていた感覚とが合致出来ました。背中から感じた危うさの答え合わせが出来ました。悔しいよりも次への楽しみしかないです。こちら側が失敗しなければ、かなり高い位置に行ける馬ですし嬉しいレースでした」と、敗れはしたが確かな感触を掴んだようだ。
レース後のトウケイカッタローは反動もなく、牧場に移動して引き続き乗り込んでいる。
今後は距離延長など克服しなければならない課題もあるが「田中学騎手、赤岡修次騎手が折り合い重視で乗ってくれたので今後に繋がりますね」と将来を期待している。
調教師合格セレモニーの際には「騎手で立てなかったトップの景色を見たい」。という意気込みを語っていた永島調教師。現在の兵庫は重賞63勝、兵庫リーディングを6度獲得している新子雅司厩舎。毎年リーディング争いを繰り広げている飯田良弘厩舎など腕が立つ陣営が多く乗り越えなければならない壁が多い。
「兵庫の厩舎は管理できる頭数が最大で28頭。厩舎は現在17頭の管理馬房です。28馬房までには早くても6年以上掛かるし、遠い道のりかと思います。走るのは馬なので、良い運、良い環境、良い馬に巡り合えたらチャンスが来るかもしれません」。
“戮力協心”(りくりょくきょうしん)とは、全員の力で一致団結して任務に当たること。
騎手時代の同期生で、今は永島師にとって気心知れた名参謀である松浦政宏厩務員をはじめ、スタッフ全員で厩舎一丸となって強い馬づくりに励む永島太郎厩舎。一致団結の成果が少しずつ結果となって表れてきている。積み重ねの先に目指すべき目標がある。厩舎の地盤を固めて虎視眈々とさらに上位進出を目指す。
文:鈴木セイヤ
写真:斎藤寿一